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天使になった実君。

  • 弟とおどけて・・。
    長男、実は2005年2月10日に生まれて、8月21日に突然に世を去りました・・。 何もできないパパでしたが愛と笑顔をふりまいてくれました。 感謝を込めて綴りたいと思います。

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2008年9月

2008年9月30日 (火)

業界の総会に行って来ました。

いきなり秋がやって来たというか肌寒いです~。ブログが2日ほど遅れてしまって・・。そんな訳で土曜日は、我がゴム印業者の二年に一度開催されます、全ゴム連総会で静岡は熱海温泉に行って来ました。会場は老舗旅館で一昨年と一緒。玄関車寄せ前の門は黒澤明監督の[影武者]で使用された門を移築したものとか・・。

支部の方々と一緒の道中はリラックスなのでしたが、時間となり会議室に入るなり緊張すること・・・手に汗です! 開会の辞で会議は始まり、会長の挨拶そして東京、大阪、中部、新潟、九州、.といったブロックの代表の方から地区報告が進みます。不況のあおりで何処も苦戦を強いられて頑張っている話しきり。益々手に汗が・・。然し質疑応答では活発な情報交換にもなり、聞いていてとても参考になりました。役員改選では私がお世話になっている支部の重鎮の方が勤めていたのですが引退される事となり会長を退く事に・・。私にとっては大きな存在の方で辛口なユーモアと豪快な笑い声と笑顔がとても好きで、こんな職人でありたいと思っている人です。

退任のご挨拶に、胸が熱くなりそうに・・。本当に体調も優れないのに業界の為にと感謝です。挨拶の後、表彰されて拍手に応える横顔は、懸命に仕事をやり終えた男の顔でした。新会長も選出され来賓挨拶と続き、いつも辛口の業界誌の方の話はいつもながらですが頷ける事しきり・・。スパッと業界時事を切り込み、業界に発破を掛けられました。閉会してホッと一息でなく、支部会を部屋に戻り支部の方々と。支部長を任されている私はある支部運営の提案をしたのですが、若造の浅知恵を快く了承して戴き感謝です。ようやく湯に浸かりながら仕事の話や健康の話とゆったりした後は親睦会、これも私は結構緊張するんですね・・。折角綺麗どころが来ても上手く話ができず、隣の席の方が話し上手だったので助かりました。

宴会もはねて部屋で支部の先輩方と前会長とビールを飲みながらの歓談は凄く楽しかったです。本当に父が亡くなって、右も左も解らぬ若い私を温かく迎えてくれた仕事上の父親のような支部の先輩方。支部に入った当初は緊張で正直、部会に行くのが億劫だったのがいつの間にか楽しみになっていて、ここには父の残り香があり、話も聞けて、仕事の事も親身に教えてくれて末席に加えて戴き本当に良かったです。

 翌日は天気が悪く、横浜まで支部の皆さんと戻り中華街で食事をしました。隣に前会長がいらしたのですが気の効いたお話が出来ず・・・・。職人としてでなく人としても尊敬できる、会長の引退はショックで結局[ご苦労様でした]と言えずじまいに・・・散会の時、無言で会釈しかできない私に笑顔で頷いてくれて・・。[どうか体を大切に長生きしてください。気晴らしも兼ねてオブザーバーとして会にいらしてください。]言いたかったな(。>0<。) 

でも言うとお別れみたいで言うのが怖かったです。 会長だけでなく皆さん横の繋がりを大切にされている先輩方です。これからもこうしてその繋がりをつなげられたらと思います。

Gomukaku 

2008年9月29日 (月)

創作落語部会。

26日の金曜日は三遊亭京楽師匠の〔環境落語創作部会〕のメンバーの一人として会議に行って来ました。新作の骨組みを師匠を中心に話し合い組み立てていく作業も、大分進展してきました。、これまでも何作か素晴らしい作品が財産となっています。

私は次回作のメンバーの末端に加えていただいていますが、師匠の環境に対しての取り組み、情熱。更にメンバーの方々の意欲が今までの新しい形の[環境落語][福祉落語][防災落語]といった作品に結びついたのも解りました。さて今回から映像ディレクターでシナリオも手掛けるI氏が加わり、パワーアップしました。I氏の(既存概念を取り払って落語の昔からの部分を大事にして映像を効果的に採り入れる)との構想は凄い!正に今までにない形の出来栄えになる期待に師匠をはじめメンバー全員、盛り上がり一気に進展。現実となれば本当に面白い事請け合い!話したいけど・・・それは。

これからもストーリー、音楽とI氏の構想をベースにアイディアを寄せ合い肉付けを重ね、師匠の巧みな話術により素晴らしい新作になると確信しました。皆さんレペルが高く新参の私が何処までお手伝いできるかは解りませんが知恵を絞りこの新作の一部、一カケラでも私の創意が生かされればと気持ちを新たにしました。然し毎回思うのは、京楽師匠の環境問題、福祉といった社会問題も落語といったフィルターを通して多くの人に目を向けて共に考えて欲しいとの願いが本当に強いのだとお話ししながらうかがい知る事です。

勿論プロの噺家さんとして古典作品に対しても芸を磨く事も大事にされています。古典の方は人情噺を得意とされ、毎月、横浜は白楽のお蕎麦やさんで独演会を開かれています。普段テレビやラジオ、寄席でさえも演じられない貴重な噺も観て聴くことが出来ますよ。落語好きな方是非きてくださいね。

Kyouba http://kyorakusan.com   

   三遊亭京楽師匠のサイトです。

Manazashi_bana http://www.opinet.jp

  よりアイランド名、[MANAZASHI映像祭]

  映像ディレクターI氏のサイトです。

2008年9月24日 (水)

神宮外苑の自転車教室。

秋晴れの秋分の日となった21日は長女と二女と三人でのお出掛けとなりました。二男が前日に微熱を出して、鼻水が止まらずにママとお留守番で寂しいですが私が二人を連れて行くことに。

場所は神宮外苑!目的は自転車教室があるとの事でバス、電車を乗り継ぎ外苑に。秋晴れの外苑は丁度サッカーの試合があるようでサポーターで一杯でした。受付から時間までは直ぐでヘルメットを借りて、指導員の叔父さんから基本を教わります。左から乗って降りる。ペダルのない自転車を地面を蹴りながらバランスを覚え、二人とも頑張る事一時間位で、長女が地面から足を離してヨタつきがなくなり、次はスタンドを立てたままペダルを付けて漕ぐ練習にブレーキの掛け方を教わり、いざコースへ最初は片足で地面を蹴っていた長女が指導員さんの手を借りて両足をペダルに乗せて漕ぐと・・出きたー!ヨタつきながらも前に進みました。数メートル走っては足を着き、段々にバランスも覚えて危なげなくなってきて・・。

何度教えようとしても運動が苦手な長女で怖がり、転んで泣いたりと挫折してきた長女でしたが遅まきながらも僅か二時間の練習で何とか漕げるようになり、嬉しそうです。二女はバランスがまだ取れずに・・でも楽しそうに初めての補助輪をとった自転車を楽しんでいるようでした。いいんです。先ずは楽しまなくちゃ。〔次回は乗れるようになるよ!〕指導員のおじさんに励まされてニッコリの二人。とても優しく丁寧に教えてくださり感謝です。水泳もそうでしたが親が教えると甘えてしまいがちでこちらも嫌がれば躊躇してしまったり・・甘い親でどうも! こうして誰かに助けられているのだと感じます。

[乗れるようになったらデートしてな!]指導員のおじさんの笑顔に照れくさそうに、でも嬉しそうに頷く二人。帰路に買ったまま乗ってない自転車にも乗れると嬉しそうな長女。あれ程練習から逃げていたのに、よく頑張りました。早く友達とサイクリングできるとよう家でも妹と練習すると笑顔で。二女も次こそは乗れるようになると。姉妹で切磋琢磨しているのが健気で嬉しく思えた祝日でした。

秋晴れの外苑も随分久しぶりで気持ちよかったです。国立競技場から聞こえるJリーグの声援。少し離れた神宮球場からは大学野球の応援団の太鼓の音。懐かしいです!中学時代に運動会で応援団をやるに当たって、親友と見学に来た事など思い出しました。当時学ラン姿がカッコよ良く見えた〔応援団のお兄さん達〕が今やオジサンとなった私には〔眩しいくらい、溌剌とした若者達〕で歳を感じて少々心寂しくなりましたが・・・これも秋というセンチな季節のせいでしょうか。

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明治神宮外苑 http://www.meijijingugaien.jp

自転車乗り方教室 http://www.j-cycling.org  より。

2008年9月22日 (月)

スーツ考・・・私の好み。ストライプのダブルブレスト。

Photo_2  朝夕になると、メッキリ涼しさを感じられるようになりましたね。其れもそのはず、来週は早10月になるのですから、衣替えの時期ですね。

スーツも秋冬物へと気候に併せて徐々とチェンジしようと思います。で、どんなスーツをと言いますと私の好みはダブル・ブレストのスーツが好きです。訳は貧相な体格をカバーしてくれるが為、柄は断然ストライプこれも同じ理由からです。ストライプのダブルと言うと下手すればその筋系と思われがちですが、列記とした紳士の柄の代表!,ネクタイにシャツをおとなし目にすれば品よく着こなせます。

私の好きな1930年代は様々なストライプが紳士の装いに彩りを加えていました。アル・カポネ等のギャングやマフィアだけでなくジャズミュージシャンや銀行家まで幅ひろいジャンルの人に愛されていたストライプ。私がこのスーツに袖を通す時の約束があります。ストライプが強いスーツにはシャツは白無地、ネクタイも無地か柄がきつくない物。

色は地味目にと。昨今ストライプのスーツも市民権を得たと言うか巷でも若い方もクッキリとしたストライプのスーツを着こなされています。皆さんシングルを着ていらっしゃるのですが、私はこの柄はダブルかスリーピースに仕立ててクラシックな感じに着るのが好きです。

勿論着る場所を選んでですが、スーツは何もビジネスオンリーでなく、洒落たバー〔最近全くいってませんが(;ω;)〕に繰り出す時とかでも仕事では躊躇する派手なストライプも堂々と着るのも良いのでは?と思います。〔モデルの顔色が悪い事、ご容赦の程 o(_ _)oペコッ〕

 写真のスーツはネイビー地に白いオルタネート・ストライプの入ったダブルのスーツです。ちょっと派手だとは思ったのですが、クラシックな感じが気に入り仕立てました。

シャツは白、ネクタイは紺系の地味タイで。1930年代のシカゴと言った感じでしょうか。青山の[ボストン・テーラー] の製作です。このテーラーはクラシックなスーツは1930年代から、モッズにアイビーまでお任せです。

ストライプのスーツについては以下のサイトで詳しく記載されていますので、ご覧ください。この秋ストライプのスーツにトライしようと思われている方、必見!参考になりますよ。

The30sstylebanner0702 http://www.the30sstyle.com.

2008年9月21日 (日)

かっぱ橋と浅草仲見世へ。

何となくセンチな気分ともなれましたが、週末は楽しくってな事で。土曜日は家族揃って買い物へ・・・向かった場所は、かっぱ橋道具街!通り全体がキッチン用品に、ディスプレイ用品等と様々なお店が連なっている知る人ぞ知る東京名所です。いやーっ、通りを歩いているだけでも目を楽しませてくれて。子供達が喜んだのは食堂に飾ってあるカレーやらお寿司のディスプレイ用の模型のお店でした。本当に良く出来ていて特に秋刀魚の塩焼きの模型は食欲をそそられそうな出来栄えで!私が興味をそそられたのが喫茶店用のカウンターチェアー等のお店にあった往年のハリウッドスターの額入りポートレートでした。私の好きなフレッド・アステアやマリリン・モモンロー等のスター達が壁一面を彩っていて、その他コカコーラ関連のクラシックなグラスやオブジェと楽しませてくれました。家内のキッチン用品を購入後、隣町の浅草へ・・・雷門から仲見世散策。いつも賑わっていますね。先ずは喉を潤そうと[アイス抹茶]を家族で。美味しかったです!チビ達も喜んで次は[揚げ饅頭]を長女が抹茶味で二女はプレーンと舌鼓。二男は気の毒に甘すぎるので家から持ってきたべヒー用のオヤツでゴメンネ!でも喜んで笑顔でパクパクo(*^▽^*)o オヤツの後はお店散策へ二男もキョロキョロと動く玩具やヌイグルミに歓声を上げていました。私達も仲見世から江戸時代の街並み風にしたという伝法院通りへ老舗の天ぷらや屋さんや舞台衣装まで扱う露天や浅草らしい呉服屋さんと色々なお店が。ん!屋根に鼠小僧と思しき人形が千両箱を抱えて・・面白かったですね。子供達も大喜びで再び仲見世散策後は家族で締めのみたらし団子を食べました。下町の週末を少し楽しみ、満足して帰路へ! 然し後が大変で私の業界の会合が夜にあり家族を車から降ろすとバッグを取り、バス亭へ無事に遅刻せずに着きまして会議も無事すんで、食事を兼ねてお疲れ様の一杯を楽しく過ごして帰宅すると、子供達は既にベッドの中・・その可愛い寝顔に満足してくれたような安堵感を覚えたゴム印屋さんでした。

  Flower1004                      かっぱ橋道具街   http://www.kappabashi.or.jp

浅草仲見世  http://www.asakusa-nakamise.jp

2008年9月20日 (土)

彼岸・・・逝きし親族へ想いを寄せて・・・祖母、両親との日々。

  Img_0003          祖母とは14歳まで一緒にくらしました。本当に私を可愛がってくれて・・。小さい頃は近くのお寺の境内まで鳩を見せに連れて行ってくれました。父が親孝行で色んな所へ家族で旅したりとても幸せなだったでしょう。母も嫁姑の苦労はあっても慕ってました。祖父は私が1歳の時に他界していたので残念ながら記憶にありません。でも祖母はいつも側にいてくれました。お大師様へ参詣した時のお土産[葛餅]がとても懐かしいです。祖母も幼い娘を亡くし、晩年長男にも先立たれました。どうやって乗り越えたの?同じく子を亡くした親として聞いてみたいです。明治の女で強い人だったと聞きました。〔お祖母ちゃん・・とても可愛がってくれて有難う。家族旅行楽しかったね。お祖母ちゃんと過ごせて良かったです。〕

こうして亡き両親、祖母に想いを寄せて一緒に過ごした子供時代は随分昔のようでもあり、少し前の出来事のように蘇ったり・・。きっと世の中も今よりもゆったりしていたのでしょう。学校から帰って、空き地で草野球や鬼ごっこで遊んで夕方になると祖母が迎えに来てくれて家では母が好物のオムレツを作ってくれる。仕事を終えた父が先ずはビールを飲み喉を鳴らす。そんな我が家の食卓の風景が細長い昔のシネマスコープのセピアががった映像のように脳裏に浮かんでいます。Img_2 私も親となり歳を重ねましたが、私自身今でも子であり孫であって、良い歳したおっさんが気恥ずかしいのですが、とてもあの頃が恋しくて、面影を追い続けてしまい涙したり〔苦笑〕全く困った[ちょい不良オヤジ]でなく[甘えん坊オヤジ]ですね。只申し訳ないのは孫であり、曾孫である長男を守りきれずに私より先に送ることになった事・・・。[ご免ねパパ守って上げられず・・あと少しジィジ・バァバのお膝で待っててね・・。お父さんお母さん育ててもらったのに自分は子供を守れず情けないです。どうか僕がそちらに逝くまで可愛がって預かっててください] 仏となった両親に仏にしてしまった長男を託さなければならない・・子不幸・親不孝をしてしまったことです。生きるもの全て何時かは死を迎えます。明日かもしれないし判りません、瀬戸内寂生師が[死んだらどうなるかは私も判らない・・でも親しい人達に逢えると思えばそれも楽しみじゃないですか。]と法話で仰られたそうです。私は未だそんな歳ではありませんが彼岸の時期は、そうだなと思ってしまいます。父は16歳で旧満州に渡り、終戦の混乱の中必死に生き抜き帰国して二十歳そこそこで親、兄弟を養い、母も早くに父を亡くし一家の働き手の一人として生活を支え、祖母も逞しい母だったそうです。とても真似できないと思います。[オヤジ、オフクロ、お祖母ちゃん、実くん・・皆で見ていてね。逢いたくてたまんないけど、チビ達を独り立ちさせるまでは人踏ん張りするから。]キーボードが霞んで来ました・・・見ていただいた方には暗いブログにつき合わせて御免なさい。合掌して終わります。

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2008年9月19日 (金)

彼岸・・・逝きし親族への想いを寄せて。母と私の事。

父の事が長くなったので、母の事もなりそうな・・・。母が逝ってから8年経ち、亡くして感じるのは帰るべき故郷がもうない・・そんな凄い寂しさがひしひしとあります。プロローグはコレ位で本文へ。 

小さい頃は母も父と仕事していて祖母と過ごす事が多くて前掛けして仕事場で活字を組んでいたり、仕事してる姿がぼんやりと思い起こされる程度で・・親不孝ですよね。

  勿論ご飯も家事も祖母と共に私の世話もしてくれてましたよ。元々この仕事のキャリアは父より長く女性の職人さんとして東京に出てくる以前からしていて父に仕事を教えたのも母でその縁で、いわば職場結婚だったとの事です。

父が親方から工場を受け継ぐ形で独立を果たしたのも母あっての事なのです。話は戻って私に対して世の母親よろしく、勉強の事やら期待してました。同級生と比較されるは父以上に叱られたような・・。それでも応えられない親不孝息子でしたから心配掛け通しで苛められっ子である事も悩みの種だったようです。

一番困らせたのは不良ぶった時期・・。高校辞めると言って困らせたりと今もって申し訳ないと思っています。やはり将来については父同様に跡を継がせたかったようで、父の項でも書いた[服飾方面に進みたい!]と言って父を怒らせた時は[お父さん何の為に今までやって来たの・・お前が継ぐと思ってでしょ。]と言われて・・あれも結構ずしんと来ました。母は信仰深く、大国様を親方夫妻のすすめでお祀りして日々拝んでて、きっかけは私の高校受験だったのが何とも母らしいです。

料理は上手でオムレツにギョーザ・・色々と特に餃子は祖母と並んで作っていたのは今でも記憶にハッキリと刻まれてます。家内も母と暮らしたのは2年程でしたが手早くて美味しかったと言ってくれます。母との思い出は大人になってからで悲しいことに父が急死して[母一人、子一人]となってからです。

父とは一緒に仕事に携わり盛り立ててきただけにその上新築途中の事も重なりショックは大きく、自分が前面に立たなくてはならなくなり大変でした。父の棺の傍らで[あんたがいて良かった]呆然としながら語りかける母の一言を聞き[一人逃げられないし・・・守らないと]どこまで出来るか自信はなかったものの八方塞の中そう思いました。喪主は私が務めての葬儀・・。

忘れられないのが精進落としの席で箸をとりながらも涙を流し続けていた姿です。本当に父を愛していたのだと。それからは悲しみに浸る間もなく工事を取りやめる訳にもいかずに仕事も然りでした。時は皮肉なことにバブルが弾けて、世の中一気に沈滞ムードへ、。

それとIT化の波が一気に押し寄せてワープロにパソコンの普及!此れが我々活字業界を直撃して需要が下降気味に・・・。

この頃、母の顔は苦渋に満ちていました。然し明るいことも私の結婚、母にとって初孫の誕生と続きました。初めて彼女を紹介した時父の話しになり[良い人だったのよ]と涙して愛情の深さに家内は感激したそうです。入籍の報告に[これで息子は貴方にお渡しします。宜しくね。]と二人の手を取り嬉しそうに言ってくれた母・・。

結婚式当日、式前に盛装して友人に囲まれて写真の嵐の中で着物に着替えて出てきた母が歳をとったように思え涙が込み上げそうになりました。母は感慨深げに私たちを見つめていました。

初孫が産まれた時、長女と対面して感涙を流す私に[人の親になったのだから自分を戒めなさい]と毅然とした顔で餞の言葉を贈ってくれた母。

長女を抱いて嬉しそうに微笑む母。依然として仕事は苦戦続きでも幸せそうでした。私も奮起して、パソコンシステムを導入する等しました。

母は心配しながらも提案を受け入れ見守ってくれました。父の真似して共に出かけたり、広島の親戚や函館旅行は孫との楽しい時間に[お父さんと一緒だ・・・あんた達に連れてきてもらえて]と喜んでくれた母。

然しそんな時も長くは続かず癌に侵され、末期の様相でした。母は悟っていました。[思い遺す事はないよ孫も抱かせてくれたし。]そう静かに語り、返す言葉もない私に[お前もお父さんの子だろ・・お父さんはお婆ちゃんの時、泰然自若として送ったよ]と諭して[無理に跡を継がせた事で苦労を掛けたね。

お前は親孝行してくれたよ]とも・・母は長く床に就くこともなく父の元へ旅立ちました。何故もっと母の健康に気遣って上げられなかったのか不徳そのものです。最期まで仕事させたのも申し訳ない限りです。

葬儀の支度で仏壇から出てきた遺言状に私と家内へのお礼の言葉が書かれていました。涙が止まりませんでした・・母の遺言どおり泰然自若と喪主を務めたかは自信がありせんが家内は凛々しかったと・・・。

27才で父を36才で母を、両親を失い大人の孤児になりました。一人っ子ってそうなると親の思い出を共有できる兄弟がないのが寂しいです。

結局守るどころか守られた息子でした。[お母さん守ってくれてありがとう。また懲りずに来世でも僕を生んで下さい。そして逢いたいです。]母への言葉です。

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2008年9月18日 (木)

彼岸・・・逝きし親族へ思いを寄せて。父との事。

来週、秋分の日は、秋のお彼岸ですね。お墓参りの計画を立てている方も多いのでは。、手を合わせ、香を手向けて今は亡き親族に想いをよせて祈りを捧げるお彼岸。秋というセンチメンタルで人恋しい季節の彼岸は思いも一入になってしまいます。今は亡き両親と祖母に長男・・家族として過ごした日々がとても懐かしく思えたり、会いたくなったり・・・。あらためて在りし日の姿と思い出にが蘇って、いい歳しながら涙になったりするものです。

父・・・・・幼い頃は一人っ子の私を側から離さないくらい可愛がったとか。幼稚園のお遊戯のダンスの練習を家で音楽に合わせて一緒に踊ってくれた記憶がおぼろげに蘇ったりします。父の顔は嬉しそうだったような・・。きっと酒でも入っていたのかと〔笑〕。酒が好きで晩酌は欠かさなかった呑み助親父。旅が好きで私達家族を色んな所に連れて行ってくれました。自我が芽生え私が同行を渋ると機嫌が悪くなり母に〔楽しみにしてるのよ!〕と諭されついて行ったが何やら恥ずかしかったものです。結局家族旅行は父が亡くなる前年まで我が家の行事として続きました。休日ともなると一家でお出かけ・・・。これは楽しかったですね・・玩具を買ってもらえたりしたから。これは家庭を持ってから私にも受け継がれています・・が、最近長女に続いて二女にもフラれる事も多くなり寂しさも。周りからも親孝行で評判だった父。・・旅行もお出掛けも祖母に対する孝行の意味もあったのは判っていました。銀座のマ○ドナルド一号店が出来た時、マ○クシェイクを買い〔アイスクリームを溶かした飲み物だよ〕と椅子に座らせた祖母に勧める姿は鮮明に記憶に残っています。私が家庭を持ち、親となって母と共に家族で休日はよく出掛けました。三度だけでしたが旅行したのもそんな父の真似したつもりだったのですが・・今となれば父には及ばなかったです。兎に角人柄は良く、近所でも私の友人達にも人気があった父。垣根を作らない人でした・・気遣いが出きて人付き合いの達人でした。従業員に問屋さん同業者にも親しまれて、お得意さんからもそうでした。そのお陰で父が亡くなってからも助けらました。そんな魅力溢れる大きな父だけに跡を継がされる事への不安は広がり、反対に父の期待は高まり身の置き所がなくなっていったのでした。

可愛がるより跡を継がせようと手懐けたかったのか、折につけて従兄弟と比較され[お前がダメならこの家も全部○○にやって継がせるからな!]この言葉は小学生の私にはきつく、跡を継がないと追い出されると危機感に苛まれ、後々もトラウマとなって表れました。イジメにあったりした事もあって、弱いくせに不良ぶったりしても父は母と違ってうるさく言わずにただ呆れ返ってました。それでも〔洋服の道に進みたい〕と言った時は凄まじくカムリを振って〔くだらねえ事ぬかすな!〕と怒り、私も反発したのですが母も父と同じ気持ちであり、家出でもすれば良い事を高校生の身で行くあてもなく、そんな度胸もなかった。そして何よりも前述した子供時代に言われた言葉がトラウマとして蘇り、〔何もかも取られてしまう!〕と父の言われるまま服飾専門学校の道は諦め大学へ。・・贅沢といえばその通りなのですが、夜学であったため昼は洋服のアルバイトをと目論んでも許されず、父の工場で配達に雑用と小遣い程度で仕込まれましたが学生気分もあってかヤル気なしでした。然し写植スクールで一応資格は取得した時、父は同業者に嬉しそうに言っていたと亡くなってから聞きましたそうそう私が車で同業者の会合に迎えにいった時の言葉。後継ぎだと私を紹介してから[コレ一人しかいないから、可愛そうだけどね。]と・・・。可愛そうと言うなら自由にしてくれと心から思い、カッコつけんじゃねーよ!と腹が立ちました。服飾への想い絶ち難い私は叔父に相談したり、悩み。意を決して父に跡は継がないと言おうと決めた3日後に父は心臓発作であの世へ・・呆気ないものです。今更ながら言ってから急死されたら、あの言葉でと苛まれたでしょう。  晩年は何かを焦ったように工場を建て直そうと無謀な計画を立てて諌めても聞く耳をもたずに決行!困惑する私に[お前の為にやっているんじゃないか!]それも重く圧し掛かってきました。この歳で何故・・そんな不安は現実となり、父は棟上直前に急逝してしまい、楽しみにしていた工場へは入れず仕舞いになり無念だったろう・・。何故に人に親切な善人の父がこのような最期を・・神も仏もないと思う一方で、死んだ人間はそれで跡の悩みはなく楽でいいなとも。遺された母と私に全て圧し掛かってきたのですから。父の死で何もかも状況は変わり、子として母一人おいて逃げる訳もいかず遂には八方塞で跡を継ぐ羽目に・・工場は落成したものの嬉しくもなんともなく虚しいだけでした。負の遺産といえば其れまでですが父の夢の結集は重過ぎました。それからバブルが弾けて世の中もガラリと変わり色々と泣きたくなる事も・・・なんとか所帯を持って親にもなれ、それは幸せでした。産まれた子と対面して涙が出ました。父にとって抱く事の叶わなかった初孫です。生前よく言われました。[早く結婚して孫抱かせろ] と・・・。そして思いました。この子には好きな道進ませたいと・・。子供は親の夢を受け継ぐロボットではないのですから・・・。運命かと言いえばそうかも知れないし、私自身も自立心に欠けていたと思います。 今、父に対しての言うとすれば [お父さん出来れば跡継ぎとしてでなく普通の父と子として過ごしたかったです。] と。 正直父の事を恨みにも思っていますが、何につけても父には男としても親としても敵いません。追いつきたくても遥かなる人だから・・。男の子を授かり同じ男の子の親となったせいでしょうか少し歩み寄った気もしています。父の好きな酒を仏壇に捧げて合掌しながら愚痴でも話そうと[笑]彼岸近くの秋の宵です。

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2008年9月17日 (水)

親として・・・・ちょっとした気遣いの一言。

昨日の出来事です。二女の保育園からの同級生で家が少し離れている子がいまして、丁度、保育園に兄弟が通っていて通り道なので我が家で合流して登校してます。いつも約束の時間があるのですが昨日は30分も前に玄関のインターホンが鳴り彼女が着ていたのです。訊けば母親が早く出勤する用があるためとの事・・・。お互いに共稼ぎで協力して当たり前と思いはしたものの???以前長女の友達が同じようなケースで早く来た時は事前に母親から[・・の事情で早く行かせますが申し訳ありませんが宜しく。]と電話で連絡があったのを思い出し、事前に一言連絡くれれば・・それが無理だったら一緒に来ているのだからインターホーン越しでも一言あればと思いました。その母親はどちらかというとアバウトで当初から敬語も使わずに下手するとお高く見えてしまうタイプの人。仕事人間だという事は会話の隅々から読み取れる人ですが・・別にそれが悪いとかでなく忙しいのはお互い様なのだから親どうし協力し合うことは良いことです。ただ当たり前のように振舞うのは疑問を感じました。わが子も色々と方々にお世話になってますが、相手の都合も考えてちょっとした言葉の気遣いはかかさないようにしています。[お手間お掛けしますが・・よろしいですか?]との一言でお互い気分よくお付き合いできるのだったら、なにも菓子折りだとか形式ばらずともいいと思います。堅苦しく聞こえるかもしれませんが[親しき仲にも礼儀あり]・・・最低限の連絡はお互いにあって然るべき!その母親とは親しくないのですが・・それは置いておいて親同士の付き合いは結構ややこしい部分も多いからこそ我が家も気をつけたいとつくづく考えた次第です。

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2008年9月16日 (火)

シャイニースタンプ

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 皆さんはゴム印というとスタンプ台が必要と思われていますよね。それが面倒だからシャ○○タがいいというお話も耳にします。然しアレッて結構高くて出来上がりまで時間がかかるなんて話も耳にします。そこでスタンプ台要らずで手軽なスタンプを作ってみました!シャイニー・スタンプです。ゴム印なのですがこのホルダーにインクパットが内蔵されており自動的にインクを着けてそのままガシャンと押すだけで捺印できてしまいます。某メーカー品と同じように使えて、ゴム印がベースだけに早く仕上がりその上お安い!大きさも色々と取り揃えています。

[シャイニー・スタンプ]一度お試しになってみては如何ですか?

お問い合わせは  電話 03-3712-9142     fax03-3791-7769

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            http://nttbj.itp.ne.jp/0337129142

                          http://www.opinet.jp   こちらのサイトでアイランド名 (有)清山堂製印所・〔メイキング・スタンプ〕にてゴム印の製作工程がご覧いただけます。弊社サイト他、テレビキャスター、著名経営コンサルタント等のサイトが楽しめます。どうぞこちらも御覧ください。

                        

                         

家族の事・・二男の紹介です。

今日は二男を紹介します。昨年の2月に生まれた1歳7か月の元気な男の子です。最近は自我が芽生えて、色々と可愛く主張するようになりました。天国の長男と同じ2月生まれで誕生日も5日違い・・・。何か生まれ変わりのようにも思えますが、長男は長男で彼は彼。と思っても似ている事もあり重ね合わせてしまったり・・。生まれて2日目に過呼吸症で4日間別の病院で治療を受けましたが、きっと天国のお兄ちゃんに守られて元気にママの腕に戻ってきました。正直あの時はハラハラしました。それだけに今元気でいてくれるのが感謝感謝です。足取りもしっかりしたきて目が離せなくなりましたが、娘二人も気を配ってくれたり、とても可愛がってくれるので明るく快活に育っています。そして私達が兄の存在をよく教えているためか、お兄ちゃんの遺影を指差し[ニーニー]と笑ったり・・・遭う事はなかった二人ですが何となく心が兄弟通じて天国からテレパシーを受けているようにも思えてなりません。言葉も[ハイ!]と元気に返事が出来たり、家族が仕事、学校にに出かけるときには[バイバイ]と笑って手を振ってくれるようになりました。成長著しい次男ですが、まだ1歳。健康に安全に最新の注意を払って育てていきたいと思います。私達は彼が生まれてきてくれたのは、悲しみに沈む私達を見かねた長男が授けてくれたのだと思っています。。姉二人と共に健康に過ごして欲しい・・・父親として何を教えようなどとカッコいい事は考えずに娘二人同様、後押しができたらと思います・・。Img_0810  生きててくれさえすれば子供達には何も望みません。私が稼業に縛られたような束縛はしません。子供達の人生は子供達が歩むもの・・・事の良し悪しさえわきまえれば自由に自分の空を飛んで欲しいと願ってます。唯一つだけ兄弟仲良くね。一人っ子で寂しく育ったパパの願いです。

2008年9月15日 (月)

敬老の日。長女とデート。

敬老の日という事でお休みだった訳ですが・・。私にとっては寂しい気持ちになる日でもあります。訳は・・・父親が63歳て゜母親が70歳で逝ってしまっているので子供として長生きして欲しかったな~。となるのですが、こればかりは寿命ですから誰もが自分ではどうにもならない事だから・・と思うしかありません。まあ寂しい話はコレ位で、今日は朝から自宅でノンビリ過ごしました。遅めのランチを取り、二女が夕方から家内共々お友達と出かけるとの事で長男も一緒なので、必然的に私と長女が居残りに・・・。普段家で仕事をしていると休日は出掛けたくなるもので、長女を誘い、ブッ○オフへ・・二人ともこれといった本もなくブラブラと突然長女が[パパの知っているお店ってあるの?]と[古着屋さんなら近くにあるよ]との返事に行ってみたいという長女のリクエストに応えて代官山方面へファッショナブルな町並みに入りセサミストリートのキャラクターのある輸入玩具点のショーウインドーに目を奪われたりと歩く事、目的の[英国古着店]へ馴染みの店員さんは親子での来訪に驚きながらも娘に優しく声を掛けてくれて娘が見入った服やら、アクセサリーの説明をしてくれました。中でも目に付いたのが入荷間もない1940年代製の赤とブルーのチェックのショート丈ブルゾン[パパ好きそう!]と笑顔・・。コレには感心というか感動もの!私の服装嗜好を理解してくれていたようです。店員さんの勧めで試着したもののオーバーサイズ・・。その後もスカーフの乗馬の柄や、ネクタイピンの狐の図柄等を珍しそうに見ていました。帰路に感想を訊くと[よくわからないけど面白かった。]と笑顔で応えくれた長女・・。思わぬデートとなった敬老の日でした。幾つまで私と嫌がらずに歩いてくれるやら。Photo_4

お台場、日本科学未来館へ。

Img_0947 連休2日目の日曜日は、家族でお台場は[日本科学未来館]へ。レインボー・ブリッジを渡り東京新都心、お台場へ。日曜とあって駐車場は長蛇の列・・仕方なくワイフと子供達を先に入らせて待つこと40分位で入庫┐(´д`)┌ヤレヤレ メールにて所在を確認し合流。丁度イベントで大学生による〔バーチャルリアリティ展〕が開催され賑わっていました。然しすごいです~!頭が柔らかいって言うか発想力が豊かというか開発力は凄いです。・・一例を挙げればグローブをはめて画面の虫を掴むと本当に虫が手の中にいる様なモゾモゾした感触が????その上虫が集まり手から腕まで這い上がってくる感触まで!疑似体験にしてもここまでリアルな感触は見事としか言い表せません。正直気持ち悪かったのでしたが、他にも色々と工夫を凝らしたバーチャルリアリティの世界に子供達大喜びでした。常設展示場といえば実験工房あり、医療に環境と盛りだくさんで科学を間近に楽しめそうです。建物も面白く吹き抜けスペースの天井に球体のモニュメントが・・地球になったり月になったり、この日は中秋の名月とあって月でした!その周りを5階から3階までらせん状にスロープになっていて1歳半の長男はココが気に入って行ったり来たりとはしゃいでおりました。 そんな訳で子供達も満足して楽しく過ごせて良い一日でしたが・・然し疲れました(@Д@;

日本科学未来館  http://www.miraikan.jst.go.jp/

2008年9月14日 (日)

努力家の友と楽しく語らいました。

九月となり三連休を控えた金曜日は中学時代からの親友Mさんと地元、中目黒で飲みました。彼とは先月私のサイトへ投稿してくれたのが切っ掛けで22年振りに再会して、以後再び交流が始まりました。本当に縁を感じています。大学卒業後に就職して営業職を経て一念発起して社労士の国家資格を取得!その後も一度は開業したものの軌道にのらず外で実務経験を積み、再び開業後は着実に軌道に乗せて専門学校で講師も勤めるまで実力を養った努力家です。私のように親がレールを轢いてくれていたわけでなく自ら己の道を切り開くべく邁進して初志貫徹した逞しさがとても眩しく思えました。そして彼に遭って嬉しかったのは昔からの真っ直ぐな性格そのままだった事です。だからこそ成功したのも昔から彼を知る一人として頷け、嬉しく思いました。不思議なくらい22年の空白がなかったようにあの頃と同じように、お互い歳も重ねはしましたがあの頃以上にお互いを飾る事なく話に華を咲かせて愉快に旨い酒が飲むことが出来て良い時間を過ごす事が出来ました。時間は瞬く間に過ぎましたが次の機会がとても楽しみです。Photo_5

2008年9月11日 (木)

チラシの作成。

パソコン操作はどちらかと言えば得意でない私。それでも何とかこうして書いています。今日はチラシ作成ソフトを使ってチラシを作ってみました。ソフトに色々なデザインがあり、業種別に素材もついていましたが、我が業種ばなく、仕方なくアレンジしたりと手探りで作ってみました。実は春にも造ったのですが、秋バージョンが欲しくてトライしました。プロのようにいかずともお客様の目に留まり、わかりやすいレイアウトにしたのですが、春は一応の成果?というか感触は掴んだので、そろそろ涼しくなりこの時期に色々と打ち出していければと思います。宣伝も今やネットで出来る時代ですが、できればお客様の元へ伺い顔を覚えて戴き、手渡しでと原始的というか基本というか足を使ってみるのもと思っています。〔チラシ見まして!〕とお客さまが見えたときは嬉しいのと安堵感、そして緊張感が一番です。チラシの文言通りに良い品物をお出ししてこそ信頼いただけるのですから。 [信頼をハンで押して45年] 決して広告に偽りアリ!と謗りを受けない品をお届けします。Gomukamokuwidthl

2008年9月 9日 (火)

家族の事、長男の事。

Img473ae85081ce7 今日は長男の紹介です。彼が我が家に生まれたのは三年前の2月の寒い朝でした。初めての男の子と言う事で、もう嬉しいのなんのと!もうこれ以上のものない位ヽ(´▽`)/ 娘達も弟の誕生に大喜び!一人っ子として寂しく育った私はそんな子供達を見て[子宝に勝る宝なし]と心から思いました。然し幸せも束の間・・彼はその年の8月の終わりの朝、突然にお空に昇っていってしまいました。前日、業界の会合に出かける前に行ってきますの抱っこをした際、私の頬を何度も撫でてくれたのがお別れとなろうなどどは・・順調に発育していたのに、突然死というかたちでわが子を失った悲しみは耐えがたいものでした。親として何をしていたのか!運命を呪いもしましたが誰のせいでもなく父親として守って上げられなかった自分への怒り!息子に対して只ただ申し訳なく涙にくれるしかありませんでした。然し半年間でも私達の家族として暮らした思い出は消えることなく永遠です。彼の写真を部屋中に飾り、家族全員で彼の写真入キーホルダーを持つようにして[心はいつも一緒]と彼に語りかけています。 笑顔が可愛い子でした。初めての男の子でした。女系家族の我が家で同志ができた喜びを私に与えてくれました。お風呂で歌を唄うと笑ってくれました。寝返りが打てた時に家族みんなで拍手すると嬉しそうに笑いました。二女のミッキーマウスの人形での人形劇に声を上げて笑ってくれました。笑顔が素敵なハンサムな子でした。いま天使となって空から、いやっ常に一緒に心で通じ合っています。そして長男と再び会える日がとても楽しみです。それまで一生懸命に家族で生きて、沢山沢山お土産を持ってパパは貴方の元へ逝くからね。もうすこし待っててね。毎日語りかけています。Img473ae86f89ebf

2008年9月 7日 (日)

仕事の事。

Photo_3   今日は。仕事の話です。!我が業界は、受注生産であるがゆえにまとも受注数=仕事量となって顕著に現れてしまう・・・。事に昨今の原油高のあおりを受け物価高騰となり買い控え、企業業績の悪化で事務用品のカテゴリーに含まれるスタンプ類も真っ先に経費削減で抑えられるのは仕方がないのでしょうが・・・・それに企業はおろか一般家庭までパソコンが普及した事は大きかった! 企業においては今まで帳簿に科目印といったスタンプを経費別に押していたのがワープロ入力で済ませるようになり、会計ソフトの開発で計算も楽々となった事、一般家庭でも年賀状が簡単綺麗にできるようになり活字産業としては大打撃となった。数えればキリがないですが後継者不足も大きいでしょう。  然しこの業界衰退したとは言え、事務用品に限らず面白いツールとして遊びの部分で使っていただければと思います。例えば落款ゴム印[楽印]。落款印は本来は俳句や水墨画等に作者を表す朱印で落款石に自分で彫ったりするまのですが、コレをゴム印で提供させていただいてます。様々な書体が揃っており、趣味では流行の絵手紙に、年賀状や葉書のアクセントとして!ビジネスでは名刺のアクセントとして、何も名前でなく出身地を捺印しても[秋田なの?私もそうなんてだ!で秋田の何処?]なんて話の切っ掛けになり仕事相手との距離も近ずいたりする事もあるかも知れませんよ。実際にそういった話もお客様より戴きました。また、読みづらい名前の場合はルビとしてカナで造ることも可能です。何かそういった部分で新しいスタンプを提供したいと思ったゴム印屋さんです。

お問い合わせは 電話03-0712-9142 FAX03-3791-7769 

                 (有)清山堂製印所までどうぞ

              地方発送受け付けております。

                 seizando@qxwx.ftbb.net

                http://nttbj.itp.ne.jp/0337129142

             

2008年9月 6日 (土)

二つの会合に参加しました。

昨日の夜は学童保育クラブの9月定例会でした。長女が卒所してから定例会も一年半ぶりの出席となりました。会合自体は四月の父母懇談会以来でした。メンバー同学年の親御さんたちは保育園の頃からのお馴染みさんが多く、上級生もわりかし知ってる方達が多いのでわりかし馴染みやすくホッとしていました。月末に行われる連合スポーツ大会への取り組みの説明等、キャンプの事等が話され二時間ほどの会でしたか、いつも思うのは先日同様、皆さんキチンとした話し方が出来るという事・・結局私は聴くだけで貝になったままでした。私も父母会の一人として皆さんのようにキチンと考え、子供達の良い環境の為に一言でも打ち出せるようになれればと気持ち新たに・・・・先ずはキチンと話が出来なくては・・。親同士の情報交換だけでなく人付き合いの学びの場としても貴重な集まりです。

そして今日は午後から[SIDS家族の会]のミーティングに行きました。この集まりは宗教とかカルト団体でなく子供を亡くした親が思いのたけを話す場で、出会ったのは一昨年春、長男を亡くし呆然としていた時に新聞に会の監修されている医大の先生の記事を通じて知り、家族で会合に出て以来、同じ悲しみを負う親同士で語り合う事で心に得るものも多く、出席者は母親が殆どなのですが亡き長男への想いを話し気兼ねなく泣ける場として伺ってます。私の張りの一つでもあり、メンバーの方曰く[亡くなった子供の保護者会]まさにそのものです。今日も口下手ながら長男の話を聞いて戴き、同じ悲しみを持つ方達の話を伺い、それぞれ子供に先立たれるといった悲しみの中で我が子への追慕、日々を送る心情等に、受け入れ難い悲嘆の中でも一歩でも踏み出そうする気持ちは同じなのだと[気]を頂いて帰ってきました。司会親交をされ話を聞かれる方達も同じく子供を亡くした親御さんであり、じっくりと話を聞いてくださり自身の経験から時には励ましてくださいます。昨年からオブザーバーとして小児科の先生も同席して様々な質問に親身に応えてくださいます。とても暖かな会で、私には欠かせない会です。次回は今回いけなかった家内も一緒に長男の保護者として行きたいと思います。Flower1004

2008年9月 5日 (金)

1930年代ファッション

秋といえばその人、様々ですがお洒落を楽しむのも良いですよね。以前お話しましたように私の服装の趣味はクラシックな装い!1930年代の服飾に凝っています。あの当時の服はスーツスタイルからカジュアルに至るまでエレガントの極みでした・・と言っても実際にその時代を生きていないので当時の雑誌や映画で学んだり、兎も角のめり込んだのが十数年前ケビン・コスナー主演の[アンタッチャブル]の頃でしたか・・・その前に[ゴッド・ファーザー]で憧れていたのでしたが・・・。そして渋谷にあった30年代のクロージングショップと巡り合い益々その道へまっしぐらとなったのでした。それ以来、スーツに靴に普段着までもコスプレ状態に・・・兎も角奥の深いメンズファッションの原点とも言えるこの時代の服は素晴らしいです。

 そして私の教科書的サイトの紹介です。1930年代を網羅された方が主宰され、スーツに・ネクタイにアクセサリーまで当時の貴重な資料もあり、博物館のようです。興味がある方必見!リンクもアクセサリー・服飾のみでなく美術館に至るまで充実されてますので是非ご覧ください。 許可を戴き一部画像をご紹介いたします。Photo_2

The30sstylebanner0701_2  http://www.the30sstyle.com

 イラストは当時のファッション情報誌エスクゥワイヤー掲載のローレンス・フェローズ氏のイラストです。ハワイのようですが、二人の紳士のエレガントさお判りいただけますか?詳しくは上記サイトをご覧ください。

2008年9月 4日 (木)

家族の事!二女の事。

今日は二女の紹介です。現在7歳のピカピカの1年生です。明朗活発で家族のムードメーカー。お姉ちゃん!!と姉にまとわりつき、此れが原因で勉強や読書の邪魔になりケンカになることもシバシバ・・・。長く末っ子でいて、甘えん坊でパパっ子ゆえに未だに赤ちゃん扱いしそうになってしまう事も〔笑〕 共稼ぎなので姉と同じく学童保育へ入ったが、投初直ぐに馴染んだ姉と違い、通所したがらなかったのは以外でした。あまり人見知りせず友達も多いのに・・・結構デリケートで傷つきやすい性格なのですよ。まぁイジメにあっているわけでもなく今はイや事があると〔辞めたーい、行きたくない早くお家に帰りたい!〕とスネますが、ヘコタレルナヨ~。でも指導員のクラブ児のお姉さん的存在の先生が大好きです。保育園時代から可愛がってくれる優しい上級生もいるし楽しい事が待ってるよ!パパもママもネーネも後押しするからね。二人のお姉ちゃんとして頑張っていってらっしゃい~。と送り出してます。二人の弟への愛情は姉同様に深く、ご飯を食べるのを手伝ったり、本を読み聞かせてあげたりと優しいお姉さんになりました。姉と共に亡き弟の事も常に忘れずに小さな手を合わせて〔ご飯一緒に食べようね~。〕とお供えしてくれて、涙が出そうになるパパです。性格は親ばかと言われようと太鼓判!押させてくださいハンコ屋だから!! 保育園時代から年下のクラスのお友達も良く面倒みると言われ、学校、学童でも同じく友達に良く気を使うとの事。只気を使いすぎて自分のことが後になったりしてママに叱られたり〔笑〕でもそんな優しいお茶目な二女は我が家のアイドルです。甘えて良いんだよ!お姉ちゃん達と姉弟仲良く、元気に日々過ごしてね。身体も弱いところがあり、心配になりますがImg_0091 生きていてくれるだけで充分です。何も望みません。〔大きくなったら絵描きさんになりたいです。〕保育園の卒園式でハキハキと言った夢が叶いますように。応援してますよ~。

2008年9月 3日 (水)

今頃に?夏風邪・・・。

Photo  一昨日あたりから喉が痛くなったと思いきや、昨日の夜から鼻も湿っぽくなり難儀しました。やられた~! 今頃になって夏風邪とは・・酷くなると厄介なので夕方早めに仕事を切り上げて受診・・薬を数種類処方されて薬局へ。帰りに先日の学童保育の一年生の集まりの議事進行役のお母さんに会い、お礼を言われ、私も労いの言葉でお返事・・・。明後日は学童の9月定例会・・・先日の集まりが尻切れトンボ的だったので、出た意見をまとめているとの事だったが、大変なご苦労な役目だと・・・。私も数年前にこの役目を経験したが彼女のように積極的には出来なかった・・・。あーあ風邪を早く治して、明後日の定例会ではこの前キチンと言えずじまいの意見を述べられたらと思ったアキノリでした。

2008年9月 2日 (火)

いきなりかい?総理辞任

いっやー昨日突然の福田総理の辞任会見・・・安部前首相に続いてのイキナリ辞任・・・・。双方とも一年足らずの政権で投げ出すとは・・・。国のリーダーですから無責任ではとの批判が高まっているようですね。いとも簡単に投げ出すなんて総理大臣になる資質が元々なかったようにも失礼ながら思ってしまいました。一般人たる我々は簡単に投げ出せないから歯を食いしばって日々頑張ってます。住宅ローンに、子供の養育費等。追い詰められても打ちのめされても我慢して、必死に留まっているのに。国家のリーダーとして国民に対して何を思って仕事していたのか?確かにトップは孤独と言いますから国権の最高権力者としての重圧は我々には判らない相当な苦労もあるのでしょう・・・。然し納得いきません!そしたら私ら一般国民も納税義務を投げ出し!勤労義務も投げ出し!:憲法とやらにうたわれてる国民の義務全てを投げ出し・・・なんて訳いきませんよね。少し低次元になりましたが・・・・一般国民は自分の職務を簡単に投げ出せない、ましてや定職に就けずに困っている人やワーキングプア問題を考えれば贅沢極まりない無責任さですよ福田さん!いっそう[政権公約を果たさずして辞めた首班は議席剥奪の上で退職金及び議員年金の支給も此れ全て認めない]とか法令を定めてはとも思いました。次はしっかりと腰を据えて国政に取り組める人の登場を期待したいです。Sunset

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