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天使になった実君。

  • 弟とおどけて・・。
    長男、実は2005年2月10日に生まれて、8月21日に突然に世を去りました・・。 何もできないパパでしたが愛と笑顔をふりまいてくれました。 感謝を込めて綴りたいと思います。

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2008年9月18日 (木)

彼岸・・・逝きし親族へ思いを寄せて。父との事。

来週、秋分の日は、秋のお彼岸ですね。お墓参りの計画を立てている方も多いのでは。、手を合わせ、香を手向けて今は亡き親族に想いをよせて祈りを捧げるお彼岸。秋というセンチメンタルで人恋しい季節の彼岸は思いも一入になってしまいます。今は亡き両親と祖母に長男・・家族として過ごした日々がとても懐かしく思えたり、会いたくなったり・・・。あらためて在りし日の姿と思い出にが蘇って、いい歳しながら涙になったりするものです。

父・・・・・幼い頃は一人っ子の私を側から離さないくらい可愛がったとか。幼稚園のお遊戯のダンスの練習を家で音楽に合わせて一緒に踊ってくれた記憶がおぼろげに蘇ったりします。父の顔は嬉しそうだったような・・。きっと酒でも入っていたのかと〔笑〕。酒が好きで晩酌は欠かさなかった呑み助親父。旅が好きで私達家族を色んな所に連れて行ってくれました。自我が芽生え私が同行を渋ると機嫌が悪くなり母に〔楽しみにしてるのよ!〕と諭されついて行ったが何やら恥ずかしかったものです。結局家族旅行は父が亡くなる前年まで我が家の行事として続きました。休日ともなると一家でお出かけ・・・。これは楽しかったですね・・玩具を買ってもらえたりしたから。これは家庭を持ってから私にも受け継がれています・・が、最近長女に続いて二女にもフラれる事も多くなり寂しさも。周りからも親孝行で評判だった父。・・旅行もお出掛けも祖母に対する孝行の意味もあったのは判っていました。銀座のマ○ドナルド一号店が出来た時、マ○クシェイクを買い〔アイスクリームを溶かした飲み物だよ〕と椅子に座らせた祖母に勧める姿は鮮明に記憶に残っています。私が家庭を持ち、親となって母と共に家族で休日はよく出掛けました。三度だけでしたが旅行したのもそんな父の真似したつもりだったのですが・・今となれば父には及ばなかったです。兎に角人柄は良く、近所でも私の友人達にも人気があった父。垣根を作らない人でした・・気遣いが出きて人付き合いの達人でした。従業員に問屋さん同業者にも親しまれて、お得意さんからもそうでした。そのお陰で父が亡くなってからも助けらました。そんな魅力溢れる大きな父だけに跡を継がされる事への不安は広がり、反対に父の期待は高まり身の置き所がなくなっていったのでした。

可愛がるより跡を継がせようと手懐けたかったのか、折につけて従兄弟と比較され[お前がダメならこの家も全部○○にやって継がせるからな!]この言葉は小学生の私にはきつく、跡を継がないと追い出されると危機感に苛まれ、後々もトラウマとなって表れました。イジメにあったりした事もあって、弱いくせに不良ぶったりしても父は母と違ってうるさく言わずにただ呆れ返ってました。それでも〔洋服の道に進みたい〕と言った時は凄まじくカムリを振って〔くだらねえ事ぬかすな!〕と怒り、私も反発したのですが母も父と同じ気持ちであり、家出でもすれば良い事を高校生の身で行くあてもなく、そんな度胸もなかった。そして何よりも前述した子供時代に言われた言葉がトラウマとして蘇り、〔何もかも取られてしまう!〕と父の言われるまま服飾専門学校の道は諦め大学へ。・・贅沢といえばその通りなのですが、夜学であったため昼は洋服のアルバイトをと目論んでも許されず、父の工場で配達に雑用と小遣い程度で仕込まれましたが学生気分もあってかヤル気なしでした。然し写植スクールで一応資格は取得した時、父は同業者に嬉しそうに言っていたと亡くなってから聞きましたそうそう私が車で同業者の会合に迎えにいった時の言葉。後継ぎだと私を紹介してから[コレ一人しかいないから、可愛そうだけどね。]と・・・。可愛そうと言うなら自由にしてくれと心から思い、カッコつけんじゃねーよ!と腹が立ちました。服飾への想い絶ち難い私は叔父に相談したり、悩み。意を決して父に跡は継がないと言おうと決めた3日後に父は心臓発作であの世へ・・呆気ないものです。今更ながら言ってから急死されたら、あの言葉でと苛まれたでしょう。  晩年は何かを焦ったように工場を建て直そうと無謀な計画を立てて諌めても聞く耳をもたずに決行!困惑する私に[お前の為にやっているんじゃないか!]それも重く圧し掛かってきました。この歳で何故・・そんな不安は現実となり、父は棟上直前に急逝してしまい、楽しみにしていた工場へは入れず仕舞いになり無念だったろう・・。何故に人に親切な善人の父がこのような最期を・・神も仏もないと思う一方で、死んだ人間はそれで跡の悩みはなく楽でいいなとも。遺された母と私に全て圧し掛かってきたのですから。父の死で何もかも状況は変わり、子として母一人おいて逃げる訳もいかず遂には八方塞で跡を継ぐ羽目に・・工場は落成したものの嬉しくもなんともなく虚しいだけでした。負の遺産といえば其れまでですが父の夢の結集は重過ぎました。それからバブルが弾けて世の中もガラリと変わり色々と泣きたくなる事も・・・なんとか所帯を持って親にもなれ、それは幸せでした。産まれた子と対面して涙が出ました。父にとって抱く事の叶わなかった初孫です。生前よく言われました。[早く結婚して孫抱かせろ] と・・・。そして思いました。この子には好きな道進ませたいと・・。子供は親の夢を受け継ぐロボットではないのですから・・・。運命かと言いえばそうかも知れないし、私自身も自立心に欠けていたと思います。 今、父に対しての言うとすれば [お父さん出来れば跡継ぎとしてでなく普通の父と子として過ごしたかったです。] と。 正直父の事を恨みにも思っていますが、何につけても父には男としても親としても敵いません。追いつきたくても遥かなる人だから・・。男の子を授かり同じ男の子の親となったせいでしょうか少し歩み寄った気もしています。父の好きな酒を仏壇に捧げて合掌しながら愚痴でも話そうと[笑]彼岸近くの秋の宵です。

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コメント

あらためて、あなたのこれまで歩んできた道程を、しみじみと感じ入りました。
私なんぞか計り知れない葛藤があったのですね。
でも、こうして現実を受け入れ、立派にあとを継いでいる貴方の姿は十分に頼もしく、自由に生きてきた私にはとても眩しく見えますよ。
とにかく、あなたには健康で元気にいてほしいと心から思います。 誰よりも素敵な奥さんと可愛らしい子供たちのために・・・。

長い文章にお付き合い有難うございました。
お彼岸ちかくなると色々と亡くなった身内が懐かしくなります。色々と励ましてくれてありがとう。

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