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天使になった実君。

  • 弟とおどけて・・。
    長男、実は2005年2月10日に生まれて、8月21日に突然に世を去りました・・。 何もできないパパでしたが愛と笑顔をふりまいてくれました。 感謝を込めて綴りたいと思います。

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2008年12月16日 (火)

父ヒデオ③ハンコ屋修行!親友との再会、母との出会いそして結婚。

Photo  父は従兄弟に当たる人を頼り、上京してハンコ屋に入りました。その人は元競輪の選手で羽振りが良かったそうです。競輪といえば当時はヤクザの資金源でその人もヤクザ上がりみたいなものでテキヤ~ヤクザかかりの元競輪選手のハンコ屋の親方と裏街道にどうも連なっていたようです。勿論競輪から足を洗って堅気のハンコ屋の親方ですが。その下で最初は丸の内警察署の近くのビルの地下の店でせっせと働いたとの事で子供の頃そこをバスで通ると何度も〔此処で働いてたんだ〕と話してました。その後(親方)の工場で職人修行に入ります。

当時は活字を組んで石膏を流し込んで固めてでゴム印の型を取っていたので必死に鍛錬していたとの事。それを指導したのは私の母でした。母は郷里の山形でもハンコ屋に務めていてキャリアもあって、当時は女の職人さんがいると評判だったそうです。この出逢いがなければ私は存在してなかったのですが(笑)当時を知る人は優しい人だったと母を評してくれました。反面父は簡単なモノばかりで面倒なのは母が組んでいたそうです。父は職人としては不器用だったようです。

そして同時期に共に満州に渡った親友Nさんと再会が叶い生きて逢えた事を抱き合って喜び泣いたそうです。その親友のNさんは父が亡くなってからも父親のように私の相談相手となっていただきました。母もNさんの奥さんには一番心を開けたようで家族ぐるみでお付き合いが続きNさんが亡くなって、母も亡くなってからも現在もNさん婦人は私達家族に優しく接してくれています。そしてNさんと牧場の夢はやぶれても[今度はお互い一国一城の主になろう]と誓い合ったそうです。

父はがむしゃらに働き、長野の親兄弟を養うべく頑張り、弟も高校に通わせます。父と違い弟[私の叔父]は勉強好きで高校の担任と校長が来て進学を奨めたそうですが経済的理由で両親は断ったのですが兄である父が試験を受けさせて某市立大に補欠合格します。そして本人の希望通りに進学させたのでした。

叔父は卒業後に大企業に入ります。息子には場末の町工場を無理矢理に継がせて、弟には自由な生き方を認める・・・酷い親父です。まぁ最期まで妹夫婦の子供の学費援助したりと兄弟思いの男でした。元テキヤの子分であった父は其処で義理人情を学んだと言ってました。そんな訳で自分の結婚は後回しとなり、母も親兄弟を養い、同じく弟が進学して援助をしていて婚期を逃していたのでした。似通った境遇の2人だから自然と惹かれあったのかもしれません。どちらがチョッカイかけたかは最期まで両親は話しませんでしたが(笑)所帯を持ったのでした。父33歳、母32歳だったそうです。

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