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天使になった実君。

  • 弟とおどけて・・。
    長男、実は2005年2月10日に生まれて、8月21日に突然に世を去りました・・。 何もできないパパでしたが愛と笑顔をふりまいてくれました。 感謝を込めて綴りたいと思います。

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2008年12月11日 (木)

父ヒデオ② 混乱の戦後に。

Imgjpg NHKのスペシャル番組でコロ島の番組がありましたが、体調不良で床に就き観る事が出来ずに残念でした。ここも父から聞かされた所で満州引揚者にとり関わりの深い地だそうです。

父は帰国後、肉親を探すべく生まれ育った土地に帰るも所在不明で疎開していた長野県へ向かい、そこでも探し出せず一家全滅したのかと思ったそうです。

肩を落とし駅への帰路、さつま芋を洗っている女性を見かけ近寄って見てみると自分の母親だったのです。生前に祖母からの話では夕飯の支度で野菜を洗っていると髭面の男がこちらをジッと見ていて気味悪いと思ったら[おっかさん!]と飛んできてよく観ると次男である父だったそうです。

父の兄は未だ帰還しておらないものの全員無事で父は安堵して、疲れがどっと出て五日間ばかり寝ていたそうです。その間祖母は生きていまいと諦めていただけに嬉しくて枕元でオイオイ泣くので仏様になったようだったと父は苦笑して話していました。

寝てばかりいられないのでそれから父は姉の着物を手に、食料やお金を得るべく農家を廻って着物を食料に換えてもらったしたそうです。そんな日々の中、村の世話人さんから選挙の手伝いを頼まれ給金がもらえるので言われた通りに指定された相手に封筒を配ったら後日、警察が来てジープに乗せられて署に連行され何故?と思っていたら手伝った人達に世話人さんに村長まで連行されてきたので驚いたとか。

知らずに贈賄を手伝わされていたとの事でビックリしたそうです。無論そんな訳ですから即座に放免されホッとしたとか。

兎に角家族を養う為に必死だったそうで父は二十歳になるかならないかの頃の事です。そんなある日父は路上将棋に誘われ対局した所イカサマを見抜き、文句を言うと相手はテキヤの組員で逆に脅しを掛けられたものの父も負けずに[俺は満州の生き残りだ、怖くねえや!]と一歩も引かずにいたら相手の兄貴分が父の度胸の良さに感心して[引っかかるなよ!]と手を売ってくれたとか。

その頃父は神社や寺の境内で古着等を寅さんのように商って生計を立てていて、面白い口上や商売が上手いので地元のテキヤの親分から目を掛けられて盃をもらい子分となり、祭りで露店を出す時等の世話役を任されたとか。

祭りとかの度に旅の渡世人が父の元へきて[お控えなすって]と挨拶に来るので父の両親は嫌がっていたそうです。然し自分の父親も怪我で仕事も出来ないので代わって働き生計を立てて家族で生き抜くために必死だったのでしょう。

そうする内に父の兄がシベリアから解放され帰還したのですが長い抑留生活のせいで暫くは満足に働けずにいたので父が大黒柱として頑張り、父の兄も働くようになり世もほんの少し落ち着いて来たので東京の従兄弟に当たる丹野の親方がハンコ屋をしていたので、其れをつてに東京に出て働こうと決心して親分に意を伝えると往復ビンタの洗礼を受けて[真面目に働くんだぞ!]と餞別をくれて励まされたそうです。こうして父は東京へ向かったのでした。

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