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天使になった実君。

  • 弟とおどけて・・。
    長男、実は2005年2月10日に生まれて、8月21日に突然に世を去りました・・。 何もできないパパでしたが愛と笑顔をふりまいてくれました。 感謝を込めて綴りたいと思います。

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2010年2月

2010年2月26日 (金)

オリンピック女子フギィアスケート・・・メダル以上の輝き。

オリンピックの女子フギィアはご承知のように、韓国のキム・ヨナ選手が金メダルに・・。

日本の三選手も健闘して浅田選手の銀メダルに続き安藤、鈴木両選手も入賞して男女ともに全員入賞のビックニュースになったようです。

私は銅メダルのカナダのロシェット選手に大きな拍手を送りたいです・・。

知っての通り応援に駆け付けたお母さんの急死という悲しみの中で出場をして見事に三位になり、胸中いかばかりだったかと察するに余りあります。

肉親の急死は父と長男と二度経験しているだけに・・・衝撃と悲しみは耐えられないものでした・・。私ならとても競技などする事が出来なかったと当時を振り返り思います。

周りが温かく支えてくれても悲しみが簡単に癒える事はなく・・心の葛藤はかなりのものだったとそれだけに出場辞退せず競技を続けただけでも大変な事だと思い、美しい演技はどのメダルの色より輝いてみえました。

ロシェっト選手に心から敬意を表したいと・・・。そしてお母様のご冥福をお祈りして・・・。

肉親の突然の死は耐えがたい・・・・覚悟があっても悲しいのに・・。

経験した者として思いました。

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懐かしさ・・・母校のサイトに・・。

昨夜、ネットで私の出身中学の卒業生のサイトを見つけました。

管理人さんは私より二期ほど下の方らしいのですが、思わず書き込みをしてしまいました・・・。

私の通っていた当時は荒れる中学として区内でも知られていて、そんな中で運動会や区の連合体育大会で応援団に入り、三年では団長までしたのが思い起こされます。

その時に得た親友の森君とは一時のブランクを経て再会して良い関係でいます。

あの当時は・・応援団に夢中で彼と神宮球場に行き六大学野球・・といっても試合より応援団を観察してエールだとか色々なアクションを取り入れたり研究してました・・・。

各校の応援団はカッコ良くて選手以上にヒーローに見えて、帰りに公園でアレコレ練習したりとまぁ良くも打ちこめたものだと思います(*^-^)

あの頃は目立とう精神旺盛と言うか被れやすいというか・・今の引っ込み思案の私から見ると別人に思い・・・あの頃のパワーというか押し出しを取り戻せればとも思えます。

コスプレでヘアスタイルからドカン(応援団が履く太いズボン・・・ヤンキーの定番でもあった。)を履いたりと・・・形ばかりでしたが(;´Д`A ```

それでも楽しくて応援団は輝いていた一時だったと・・・大人になって色々ありアチコチぶつけて臆病になった自分はなんなのかと・・あの頃は人と会うのも怖くなかったのに。

好きだから出来たのでしょう・・それと子供の頃と大人になってでは勝手が違うのは誰もがそうなのかも知れませんがあの頃の積極性が蘇ればと考えたりしました。

春から長女も通う予定の母校・・・良い環境であってほしいと思い長女にエールをきりたいと思います。

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2010年2月25日 (木)

手作りハンコ・・今年も学童保育の卒所生におくりました。

じきに春三月・・今年も巣立ちの季節を迎えます。

長女も小学校を卒業・・早いものです。

その長女が三年間お世話になった学童保育クラブでも三年生が卒所を迎え、長女が通所している時から記念としてゴム印の落款印を贈らせていただいてます。

それ以来子供達に好評で、今年も楽しみにしていてくれるとか(*^-^)

子供ってこうしたペッタンペッタンと押すのが好きなのですね。

それにハンドクラフトの良さも理解してくれて作り手としても嬉しくなります。

需要は減っても子供達にハンコという一つの文化とも言える伝統の書体やモノ作りの大切さを少しでも知って貰えばと・・。

出来あいでないフルオーダーのオンリーワンのマイスタンプを手にした子供達の喜ぶ顔を励みに製作しました。

ノートに持ち物に色々と使ってくれたらと思います。

勿論、我が子たちもパパお手製のハンコを愛用していますo(*^▽^*)o

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2010年2月24日 (水)

二代目・・・同じ立場として。

今日、とあるお客様へ納品で伺ったとき社長さんとパッとしない景気の話になりその中で・・・

[親父が生きていたらどうしたかとも思うよ・・。]と呟くように仰られて・・。

その社長さんも二代目で、私より年は上ですが数年前にお父上が亡くなり事業を引き継がれた方で職種は違えど同じ製造業で仕事の需要低下に価格の頭打ちに石油価格の高騰で材料費の値上がりといった同じような悩みを抱えながら頑張ってらっしゃいます。

それだけに[親父が生きてればどうしたか・・。]との言葉は痛いほど分かるのでした・・。

[簡単に親は超えられるもんじゃないよね。]とも・・。その言葉は同業の二代目の先輩方からも聞いた言葉でした。

跡を継いだからには実績を積んで親に近づき、超えたいとだれもが思うもの・・嫌々ながらやむなく継いだ私如きもそう思いました・・。

しかし気負いばかりで人間の成熟度も仕事への取り組みも敵うものでないと感じます。

確かに世の中が便利になりニーズも減る一方でその上に不況に晒されて苦戦続きですがそれ以上に実力が備わってないのかと・・。亡き母が[お父さんなら転んでもただ起きなかった]と言ったのも思い起こされました。

そんな私の言葉に・・・。

[実力?親父たちは係った年月も長いわ人生経験も違えば一緒にならないよ・・それに時代も今より力を発揮できる世の中だったんだろうし・・今こうなのは全て自分の力不足だけでないよ。世の中大半が沈み込んでるんだから自分ばかり責めんなって!!]

励まされたのでしたが・・二代目と言う立場は難しいとつくづく思うのでした。

そしてどこの二代目もそんな葛藤の中で己を磨き少しでも先代に近づいて超えたいと日々努めているのだと・・。

お釈迦さまと孫悟空みたいに何処まで飛ぼうが所詮、掌からは出られない大きな存在が創業者の父親だと私も常々思う[親父が生きてたら]の言葉に感じるのでした。

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2010年2月23日 (火)

長生きは幸せ?・・・高齢化社会を思う。

一昨日行った梅まつりの催し物ステージで地元老人会の方達によるハワイアンや踊りに合唱するのを観ていて[元気で幸せなお年寄り達で羨ましい]と思ってしまいました。

私の両親も63歳と70歳で亡くなり、働きづくめで老後などなかっただけにそう感じました(;д;)

元気に声を揃えて歌を唄う高齢者に全てのお年寄りがこうして老後を健康で楽しく遅れればと・・・。

いま言われている高齢化社会・・・誰もが子や孫に囲まれて穏やかな老後を過ごせれば何よりですが、街の片隅で寂しく老後を送り誰にも看取られることなく生涯をひっそりと閉じて、それさえも暫くの間気づいてもらえない事例も増えていると聞きます。

ましてこの大不況・・・誰もが明日への不安を抱えて自分と自分の家族を守るのが精いっぱいで他人への気配りなどできるゆとりもない中で近所との関係も希薄になった現代社会でますますドライになっていくようで・・・。

これは他人事でなく誰もが自分達の問題でもあるのだと・・皆必ず老いていくのですから。

一見、健康で趣味にいそしむように見えるステージのお年寄りも実は孤独で老人会を拠り所にしている方もいるかもしれないとも後から思いました。

高齢者の方達は一人ひとりがこの国の戦後復興にあたっての貢献者であり、亡き両親も含めて私達次の世代の為に働いてくれた方達です。

国が社会がそんな事も忘れて、一等国からドロップアウトして他国に追い越された四等国となり下がったからとお荷物扱いするとしたらこの日本と言う国も社会も地球上で存在価値がもっともない国になったようにも思います。

我が家の近所にも一人暮らしのお年寄りもいて、子供達にやさしい眼差しをむけてくています。

長生きする事が幸せとは言い難い社会にはなってほしくないと・・老若男女問わず孤独のなかで寂しく生きるのでなく触れ合いの中でハートフルに日々を過ごせればと。

後期高齢者・・・老々介護・・無縁死。様々な老いの悲しみと苦しみの問題を聞いたりして

誰かさんが言った[友愛]の意味とはなんぞやとも思うのでした。

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2010年2月21日 (日)

親友とのランチと世田谷梅まつり。

昨日は午後から親友の森君と池袋でランチをしました。

彼の趣味はマラソンで赤羽での大会を終えての帰りに待ち合わせして昼からやっている居酒屋を探して・・結構つかれてるのに歩くこととなり申し訳ない(*_ _)人ゴメンナサイ

一件のランチを出している居酒屋でランチとビールを戴き楽しく一時を過ごし、そのあとはサンシャイン60を散策して渋い趣のコーヒーショップでお茶して色々と話ました。

彼は私の愚痴めいた話から色々と聞いてくれて励ましてもらい気持ちが楽になりました・・。

持つべきものは友。正にその通りだと感謝です。常に味方でいてくれるのが嬉しく有難くとても良い時間を過ごせました(*^-^) 次の機会が楽しみです。

今日は世田谷は梅ヶ丘の羽木公園の梅まつりを家族で楽しんできました。梅ヶ丘は母校の地元で懐かしさもあって子供達とワイフと町並みを歩きながら学生時代の思いで話をしたり公園で梅の花を見ながらお弁当を食べたりとゆったり過ごせました。

ワイフも娘達も二男も広い公園を楽しげに散策して、電車好きの二男は行き帰りとロマンスカーを見ることができてとてもご満悦の様子でハシャイデマシタヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ

世知辛い世相ですが親友と語らい、家族で季節の花を見ながら散策と久々にゆったりとした気持ちになれた週末でした。

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2010年2月20日 (土)

朝日放送・・[少年達は戦場に送られた]。

11日に朝日系列で午前に満州へ送られた[少年義勇軍]を取り上げた番組が放映されたと昨日になって新聞で論評を見て知りました。

丁度その日は葬儀に参列の為に朝から出かけていて観れなかっただけに残念でした。

何故なら父も[少年義勇軍]の一人として満州に渡り過酷な思いをしていたからです・・。

[満州に行けば地主になれる!!]と青少年を騙して募らせた国策移民で番組は長野の開拓団と共に赴いた義勇軍の少年と教官達の運命を辿ったとの事でした。

父は運良く帰国できたものの大抵の人はソ連侵攻で亡くなったり、シベリアに送られ亡くなったりだったようです。

そのうえ軍属でない事で戦後に充分な補償も得られなかったと・・父から聞きました。

そんな日本に嫌気がさしたのか父はブラジル移住を考えて親兄弟から止められたそうです。 国から出たかった気持ちは痛いほどわかる気がします・・。

父の夢は[狭い日本でなくむ大陸で牧場を友達とやりたい]と親友と共に満州に・・・その夢も国家の誤った政策で終戦と同時に侵略者としてひどい扱いでソ連にも追われて・・・。

そうした歴史の国にとってマズイ部分は闇に葬られるもの・・・こうした史実をどんどん取り上げて欲しいと番組にされた事は良かったと思いました。

父の体験を聞いて父を騙した日本を私は祖国とも思えず愛せずにいます。

私は共産党でないですが、こうした青年期を惨い仕打ちで踏みつけた国が憎く思えハッキリと謝罪すべきだと・・。

自分も家族も日本人ですが心は日本を捨てていて国の為になどど思いもしません。

貧しくて不潔な国として蔑んでしまい昔から外国へいきたいとも考えたり・・・。

どうすれば日本を愛せるのかと・・・日本で暮らし家族も友人もいるのに国を否定するのは愚かしいですが父に過酷な思いを騙し打ちで行った事は許せないと・・。

そのことが父が早死にした一因とも思えました。

もっと日本の罪をあからさまにして後世へ伝えて戒めてほしいものです。

満州国を作った侵略行為はナチスドイツのホロコーストと並ぶ日本の大罪だと断じて伝えて欲しいと・・。

そこへ無垢な少年を騙して送った事も・・取りざたされない戦争犠牲者の子供として思います。

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2010年2月18日 (木)

雪解けの午後。春遠からじ・・。

朝降っていた雪も昼近くにはやんで久々に青空が広がった午後・・。

最近、気鬱だったせいもあって少しホッとした気持ちにさせてくれた青空でした(*^-^)

どうも曇りや雨や雪の日はとても寂しく感じて鬱々してしまうのは自分が弱いからなのか・・。

最近体力が落ちて・・少し歩くと息切れしたり考え事すると動悸が激しくなったり・・。

[冬来たなら春遠からじ]って季節だけなのか・・などと思うのは気鬱のせいか気持ちもそうでありたいと。

[心の雪解け]って言うのかな・・身を縮めて下を向いて歩いてたのが日差しを浴びて胸張って前を向いてシャンと歩いてみたいと思ったりしました(゚ー゚)

昔は自分に正直すぎるくらいだった・・・バカが付くほどおどけたり明るく振る舞っていた・・。

家からの束縛・・色々な事情で道が塞がれ・・・いやっ塞がれたというよりも自分で甘んじて受け入れたというのが真実だと感ずいていながら、そんな自分を嘲るようにしていつの間にか背中を丸めて伏し目がちでいる事に慣れてしまったのが偽らざる今の姿だと思います。

いつの間にか同年代の大臣や知事といった政治家にもこれは別格かもしれないが周りを見てもしっかり生き方を定めて社会の前線で戦っている・・人と比べても仕方ないのだが私は惰性で生きてきたようで焦りも( ̄Д ̄;;

それじゃマズイと分かっていても動けない意気地無しの自分に苛立ったり(`ε´)

心を閉ざして膝抱える歳でもなし・・・葛藤だけでは生きられないし時間だけ過ぎていくだけ。

雪解けの街に自分自身の[心の雪解け]をふと思った午後でした。

暗く終わっても仕方がないので文末は明るく・・大事にしている長女から数年前のバースデーにもらった手紙に[パパの凄いのは仕事に一生懸命な所です]とあって。

そんな子供達の為にも気持ちを凍らせたままではと・・・・近くの梅の花を見て春は遠からじだと。何事も気の持ちようかもね( ^ω^ )

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2010年2月17日 (水)

ダウンジャケット・・。

久々にこのコーナーの更新です。

皆さんは冬場のカジュアルなアウターは何着ていらっしゃいますか?

レザージャケット・・ウールコート・・様々だと思いますが街でも多くの方がここ数年ダウンジャケットを着ている方が多いですね。

それも最近のはアウトドア仕様のモノと違うモコモコし過ぎないでフードにファーが付いているもの等丈も短いものから長いものまでパリエーションも豊富ですね。

色は結構黒っぽいのが多いようにも思えます。

私も数年前に家族の勧めで購入して、休日には着ております。

色はグレーで着丈は短めのモノをチョイスしました・・。

理由は背が低いからという事で・・・ちょっと悲しいのですが。

襟にはファーが付いていてモコモコしない軽い着心地がいいですね。生地もピーチスキンで色も落ち着いていてウールのスラックスとも併せられます。

以前はウールのPコートやB3型ボマージャケットが多かったのですが、子供を抱っこしたりすると着ているのが重いので疲れましたが、コレだとキ着心地が軽くて重くなった二男を抱いても服の重みからは解放されています。

軽くて暖かかいダウンジャケット・・・冬場の友として重宝しています。

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2010年2月15日 (月)

バレンタインデー。

昨日のバレンタインデーはワイフと娘達から心のこもったプレゼントを戴きました(*^-^)

娘達からは手作りのチョコレート。

長女は友達と作ったというデコレーションの綺麗なとろけるように甘いホワイトチョコレートを・・二女からはビスケットの上にヨーグルトを凍らせた甘酸っぱいスウィーツ。

ワイフからはココアパウダーを振りかけたホロ苦い手作りクッキーに抹茶のお酒を戴きました。

ミルクで割ってさながら抹茶セーキのような味でした。

二男も大喜びで美味しそうに食べてましたψ(`∇´)ψ

長男にも供えて[大好きだよ]と声を掛けて手を合わす娘達とワイフに涙が・・。

私と二男と亡き長男に愛情が込められたプレゼントに最近少し気鬱だっただけに長女の入選作品の鑑賞と気持ちが明るくなる週末でした。

父親として、夫としてどれだけの事をしているのか・・・与えられてばかりで大したことは出来ていない自分に申し訳なくも・・・。

大変な世相の中でも家族が健康で仲良く過ごす事が私にとって何よりの幸せでこれからも平凡な幸せを守れるように強くなりたいと思ったのでした。

いつの日も・・こんな私を笑顔で包んでくれてありがとう(ρ_;)

そんな気持ちで美味しくいただきました。

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2010年2月14日 (日)

長女の書写が都の子供の作品展に選ばれました。

長女の書写が都の子供達の作品展に選ばれて上野の東京都美術館に展示されるとあって昨日、氷雨の中、長女と長女のお友達と行って来ました(゚ー゚)

生憎、二男と二女が発熱したりで家族揃っていくはずが行けなかったのですが、仲良しのお友達に観てもらえてご満悦の長女でした。

小学生、書写の部での入選で、書道は習ってもいないので本人の努力としか言いようがなく親としてとても嬉しく思えます(*^-^)

長女曰く[他の作品が上手いのに何故自分のが・・。]と照れくさそうに謙遜していて慢心しない気持ちが嬉しく思えます。

小学校生活も残りわずかだけに良い思い出が一つ出来たと・・・先日は選挙の啓発ポスターを書いて出展して佳作に選ばれて、全校生徒の前で表彰されて二女も大喜びで鼻高々でしたが至って本人は照れくさそうにしていて・・。

続けての良い出来事が春からの新たなスタートの一つの足掛りとなればと思いました。Photo

2010年2月10日 (水)

亡き長男のバースデー。

今日は亡き長男の生きていれば五歳になったバースデーでした・・。

死んだこの歳は数えるな・・と諺にもあるように長男は赤ちゃんのまま五年が経ちました・・。

朝起きてカレンダーを見て込み上げて・・・仏壇にお参りして涙が溢れて弱いパパです(;д;)

仕事中も彼が生まれて対面した時の喜びから過ごした日々が思い起こされて込み上げそうになったりと・・。

外回りの途中でカステラを買おうとしたらいつものお店がお休みで、近くの店で茶饅頭を買って供えました・・。何を供えても6カ月で逝ってしまっただけに、母乳と離乳食しか口にしてないので虚しさもありますが色々と供えて味だけでも線香の煙と共に持っていってくれればと。

今夜は家族で[生れてくれた事を感謝する日]としてお下がりのお菓子を戴いて過ごします。

思うのですが・・父親として人としてあれからどれだけ成長できたか・・・亡き長男にも二男や娘たちにも恥ずかしくない父親であるのかと・・まだまだ胸を張れる父親には程遠いと反省です。

彼の姉と弟である娘達と二男をとことん愛して、育て上げるなどおこがましい事が言える器でないにしろワイフと子供達と日々歩んで行くことで長男へのお詫びと手向けにもなるのだと思いたいです。

いつか彼の元へ逝った時に笑顔で抱き上げてあげられる少しは大人になったパパでありたいと・・・。

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2010年2月 9日 (火)

授業参観へ・・。

今日は娘二人の通う学校へ授業参観へ午前がワイフが午後は私が約一時間位づつ観てきました。

二年生の二女の授業は[おへその話]保健の先生が赤ちゃんがどうやって栄養をとり大きくなっていくかをイラスト等で授業を進めるのですが・・私の時代に教わった記憶がない!!

三か月でこれ位の大きさと胎児の人形まで用意して示したのには驚きました。

なんで出来るの?と質問でも飛ぶのではとも思いましたが・・・六年の長女の教室へ移動(^-^;

こちらはユダヤ人に本国の命を無視してビザを発給した外交官、杉原千畝さんの話でした。

先生がリトアニアに行って実際にビザを発給した今は記念館になっている元の日本領事館やアウシュビッツ収容所の画像を見せながら授業を進め、子供達に君たちならどうする?と言った質問をしたり子供達も真剣に聞き入っていて私もいつの間にか生徒になってました。

どちらの授業も命の大切さを教える為のものなのでしょう。

授業はともかく子供達の表情・・・六年の長女のクラスメイトは皆いいお兄さん、お姉さんになり我が子に限らず成長したものだと。

何より嬉しいのは二人とも友達と楽しそうに過ごしている事・・毎回思うのですがこれが学校生活では一番大事だと思います。

私自身、イジメに遭ったりで楽しくなかったし今でもトラウマで気持ちの上で人と接するのが怖くなったりでイジメはその後にも少なからず影響を受けるものだと身をもって分かるだけに我が子たちが同じような目に遭っていない事が親としてとても嬉しく思います。

イジメは自分自身に起因するものだとしても心の傷は大きく尾を引くだけに中学、高校と進む中でどうか悩み苦しまないで楽しい学校生活を送ってほしいものです。

来月で長女は卒業・・これが最後の参観と思えばあっと言う間の6年間だったと・・。

二女はまだ4年間ありますが今までどおりに楽しく過ごしてほしいと・・。

まだ先の二男も含めて3人とも成績一辺倒でなく豊かな心を育まれればと思います。

父が私が三年生の時担任の先生から[心の優しい子]と評されたのをとても喜んでくれた事が思い起こされ校門を出る時私も学んだ学び舎を振り返り涙がでそうになったり・・。

何か殺伐と言うかピリピリした世の中ですがどの子も伸び伸びと自分の空を羽ばたける未来であって欲しいと子供達のキラキラ輝く瞳に接して思うのでした。

全ての子供は世の宝なのだと・・。

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同業者の突然の訃報に・・命の儚さを思う。

昨日、FAXで同業者の方の突然の訃報に愕然としました・・・。

月末に行われた業界団体の総会、懇親会でお会いしたばかりで・・・・。

その時は挨拶くらいでしたが、昨年末の忘年会で私からのお酒を受けて戴いた折に・・・・

[ウマい!!貴方からのお酒の味わすれないよ]と仰っていただいたのが思いだされて・・・。

ただご冥福をお祈りするだけで本部で色々とお世話になっただけに悲しく思えます。

私の父も長男も突然に世を去ったのでご家族の驚きと悲しみは如何ばかりとかと当時を思い出してしまい命のはかなさを思い寂しく一日を過ごしました。

生けるもの全て、いつかは命の終わりを迎えます・・それが何時かは計り知れないから一日一日を家族や友人、縁あって出会った方々と大切に接したいと思えます。

私もいつまでこうして生きていられるか・・・・お迎えが明日かもしれないし・・。

世の中、色々と柵で思うように生きられない事もありますが今生かされている事がラッキーと思って歩むのがベストなのかと・・・悩み、苦しみながらも歩むしかないと思えます。

共に同じ業界で団体でお世話になった先輩の訃報に命の儚さを思い考えました。

                                                 合掌

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2010年2月 8日 (月)

朝青龍関の引退に・・。

先日、突如として横綱朝青龍関が暴行事件の責任を取る形で引退をしました・・。

色々と問題を起こして横綱としての品格を度々問われ・・暴行事件で引退とは・・。

経緯がどうなのか定かでないにしろ現実的に起こしたことは間違いないようで何ともしっくりこない幕引きとしか思えず残念です・・・。

角界もこの問題だけでなく薬物汚染や力士暴行死など色々と続いただけに協会だけで自浄作用は無理なのは自分達が分かっていると思うのですが・・・。

力士だけで運営してきた独特の伝統というか仕来たりの中での力がモノを言う階級社会・・。

理事選にしても一門という枠組みの中で自らの意思で投票すら許されないという民主的でないのが露呈されてました・・。

そんな世界が窮屈だったのでしょうか・・・品格がないとか色々と言われてストレスとなり自分を追い込んでいったのか・・・追い詰められたのか。

タラレバ話となりますがもしも朝青龍が自分を抑えて問題も起こさず横綱を勤めて日本に帰化して親方になったか??

過去にも大関、横綱にまで登っても引退後に廃業して別の道に進んだ元力士もいたわけだしなんとも・・よもや伝統の名のもとに必要以上に縛るやり方は通用しなくなったのだとも思えます。

いずれにしても各界の看板として貢献したのは事実で、こんな形で土俵を去った事は相撲ファンとして寂しく思えたのでした・・。

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2010年2月 7日 (日)

二男のバースデー・・三歳になりました。

このところ更新が滞りがちになってしまって、早一週間が・・。

その間に月は変わり、節分に立春と迎えて昨日は二男の三歳のバースデーでしたヽ(´▽`)/

ささやかなお祝いではとバスの玩具や姉達からも本やオモチャのプレゼントにご満悦の二男です。

もう三歳・・・ついこの間生まれたようにも思えて、それが今では食欲も旺盛で顔もふっくらしてきて体格もガッチリと逞しくなりました(*^-^)

パーティーの後、歓声を上げながら姉達と[崖の上のポニョ]を観るあどけない笑顔にこれからも健康一番で育ってほしいと・・・。

長男を半年で亡くしているだけに、生きていてくれるだけで有難く思えます。

生まれてすぐ過呼吸症でNICUで治療を受けてハラハラしたり、熱性痙攣を起こして救急車で運ばれたり入院したりと心配しましたが・・三歳のバースデーを無事に迎えられて最近は腕白振りが目に付き私達夫婦と娘達を手こずらせる事もありますが、自己主張も成長のうちだと思うと、順調に今日まできたものだと・・。

これからも油断せずに親として健康に注意してこの寒い時期を過ごさせてあげたいと思います。

二男に[おめでとう]!の言葉と共に亡き長男へ[弟を守ってくれてありがとう]と感謝した三回目のバースデーでした。

写真は三年前の病院を退院する際に眠る二男を大写ししたのですがホント昨日のようにも思えます(゚m゚*)

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