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天使になった実君。

  • 弟とおどけて・・。
    長男、実は2005年2月10日に生まれて、8月21日に突然に世を去りました・・。 何もできないパパでしたが愛と笑顔をふりまいてくれました。 感謝を込めて綴りたいと思います。

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2010年8月

2010年8月31日 (火)

[防災パーク2010]でハシゴ車やパトカーに乗りました。

日曜日は渋谷はNHK放送センターで開かれていた[防災パーク2001]に二女と二男と出掛けて来ました。

会場にはハシゴ車はじめとする消防車、パトカー、白バイの消防、警察車両が並びサイレンカー大好きの二男は大喜びでした(ノ∀`)・゚・。 アヒャヒャヒャヒャ

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最初はレスキュー隊のオレンジの出動服を着させてもらって凛々しくレスキュー車に乗り込みハンドルを握ってご機嫌です(*^-^)

次は大好きなハシゴ車のハシゴを操作する席にヘルメットをかぶらせてもらいました(*゚▽゚)ノ

そして大型ポンプ車に乗って大喜びですo(*^▽^*)o

クイックアタッカーと呼ばれる赤いオフロードタイプの消防バイクにも乗せてもらいました。

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今度は警察官の制帽をかぶらせてもらいパトカーの運転席と白バイにまたがらせてもらい、特殊車両にも乗る事ができて夢のような一時だったのではヽ(´▽`)/

一方の二女は女の子で興味のない物ばかりで退屈してしまいブーたれ気味(`ε´)

スタンプラリーと屋内ステージのショーを一応は楽しんだものの物足りない様子でした。

カキ氷を食べてようやく機嫌が直ったものの・・・今度は私が日に晒されていたせいか後頭部の付け根が痛みだし気分が優れなくなりダウン状態で・・ワイフも心配して(@Д@;

熱中症にかかりそうになったようで閉口しましたが、暫くして回復してホッとしました。

何とか皆暑い中でしたが二男は大満足で二女も一応は楽しめて良い日曜だったと・・。

明日は防災の日・・・駆け足で回ったので肝心な防災ブースは良くみられませんでしたが日頃から気をつけたいものです。

2010年8月30日 (月)

24時間テレビ・・・。今年は『はるな愛』さんが近所を力走しました。

土、日の24時間テレビは[ありがとう]がテーマで今年も様々な感動を与えてもらえました。

心臓の難病で12才で亡くなられた野球少年のお話は涙がただ溢れて来て、会場にいらしたご両親の涙ながらにお子さんが好きだった歌を聴く姿に、同じく子を亡くしているだけに辛い心情がヒシヒシと伝わりワイフと共に泣きながら見入っていました。

盲目の少女の直向きなトライアスロンへの挑戦、早く老化する難病の18才の少女等、病と闘う子供達の姿は子を持つ親として言葉にならないものがあります。

親御さんにしてもご本人にしても皆さん辛い現実を受け入れて、前を向いて進もうと努力を積んでいる姿は生来の甘ったれの私には自分を省みて恥ずかしくなる思いでした。

人間誰しも様々な事情を抱えて生きていて、当人でないとわからない葛藤があり懸命に前に進もうとしているのだと・・。

果たして自分は・・・・そう思わせてくれた事は[ありがとう]でした。

幸せの線引きは人其々ですが、自分の中で一つでも小さな事でも喜びに出会えているなら[ありがとう]と感謝してこそ前に進めるようにも思えました。

どうしても不平不満が先に立ってしまいますが、努力も充分にせずに当たり前のように日々を過ごしていて与えられている自分の幸せに気付くのを忘れがちになり、勝手で我儘な自分だったなと・・亡き父との葛藤と背負わされた運命、子供の死・・何で?と考えますが。

比べられないにしても沢山の悲しみや葛藤が世の中にはあるのだと思うのでした。

今年のマラソンランナーは[はるな愛]さん。毎年我が家の近所の饅頭屋さんが休憩所で近くを通るので応援してますが、今年は笑点が観たくて行きませんでしたがワイフが買い物するスーパーの前で居合わせて携帯で撮りました。

どのランナーも毎年必死に疲れと闘いながら走る姿は感動します。愛さんも沿道の声援に笑顔で応じながら力走するスナップです(*^-^)

毎年、夏の終わりに様々な感動を運んでくれて、自分を省みる機会になる番組だと思います。

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2010年8月26日 (木)

朝の見守り2日目・・・不審者出現と思いきや酔っ払いが絡んで来て・・。

今朝も通学する子供達の見守りに交差点に立ちました。

昨日と同じ通学風景でしたが・・・・黒いTシャツとズボンのスキンヘッドの男性が子供達に声かけている。

顔見知りにも思えないし注意して観察してると此方へ・・・小柄だけど色は黒く口髭を蓄えて鋭い目つきで睨んでくる・・・私っ?勿論・・目を伏せましたよ(;;;´Д`)

そのオヤジさん、事もあろうに旗を持って子供達の通行を守ってる交通擁護員のおばさんに絡みだしおばさんは逃げ出し私は咄嗟に間に入って・・。

『子供の通学時間なんで協力おねがいします』と丁重に言うと酒臭い息を吹きかけて勢いよく凄まれて閉口しました( ̄Д ̄;;

暫く怒鳴り交差点を渡り、なんと道の真ん中で腰を下ろしてストレッチを始めてw(゚o゚)w

その後子供達の通学の列に混じるように学校方向へ・・・・子供達に怖い真似されてはと私は距離を置いて後をついていったのでしたがいきなりUターンして鉢合わせして再び怒鳴られるはヾ(;´Д`A

私が凄まれたものの子供達に何もなくて良かったのですが、万一、学校に入ってこようとしたりしたらマズイので学校を通り過ぎて遠ざかるのを再び後方より確認してから、校門にいた先生に報告すると早速に様子を見に行き警戒してました。

酒臭いとは言え完全に酔っ払っている訳でもないので、正直怖かったです( ̄Д ̄;;

こう朝から暑いと苛立ったりして子供達に何かされてはと緊張した一時でした・・。

交通擁護員のおばさんにお礼を言われましたが、さぞかし怖かったろうと気の毒で。

暑い中で子供達を車から擁護していただいてるのに絡むとは腹立たしく思いました。

誰にも危害が加えられることはなかったものの学校、地域でしっかりと安全確保する協力は欠かせないと感じた出来事でした。

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2010年8月25日 (水)

今日から学校が始まり、子供の朝の見守りに。

夏休みも終わって、子供達は今日から学校へ・・。

私もPTAの[朝の見守り]で交差点に立って子供達にお早う(*゚▽゚)ノと声を掛けました。

照れくさそうに挨拶を返してくる子や、顔見知りの子は向こうから微笑んでくれたりして、信号待ちの時間に夏休みの思い出を話してくれる子もいて暑い日差しの中でしたが束の間の朝の子供達との交流を楽しめました(゚ー゚)

娘達が友達と語らいながら学校へ向かう姿を見られるのも良かったのでした。

去年に続いて2度目ですが、昨年はこの事に協力したためかPTA役員に推挙されて断るのに四苦八苦したのでしたが私は何も顔を売ろうとか良い顔しようとか腹ずもりはなく。

単に子供達が安全に通学する手伝いになればとの思いと亡き長男への供養にもと始めたのですが・・。

そんなこともあって今年は迷ったのですが子供達の姿にやって良かったと思いました(゚ー゚)

思えば私達の頃は8月いっぱい休みだったのが、今までのゆとり教育による学力低下とか学校週五日制になって減った授業日数の確保とかで休みが短縮されたようですがこの夏はいつまでも暑いだけに可哀想に思います。

その時の国の指針に子供達が振り回されているようで、学力向上のみを謳って頭でっかちなだけで人の心の痛みや苦しみがわからない機械的な人間を創りだすための勉強でなく、人として持ち合わせるべき大事なものは何なのかを学び血の通った温かみのある人を育成する事が大切だと思うのですが、今やそれすら理想論に過ぎないとしたら悲しいとも思います。

何はともあれ夏休み明けの子供達の通学する姿に、皆が安全に健康で楽しい学校生活を送って欲しいと願うのでした。

記事とは違いますが二男が見事に積み木でタワーを建てました。子供は伸び伸びと育てたいと思います。親が無理に尻叩いて勉強だけさせるのでもなければ、脅して自分の仕事を無理やり継がせるべきでもないと、私が許されなかった分と亡き長男の分まで存分に自由を謳歌して欲しいです(゚▽゚*)

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2010年8月23日 (月)

長男の五回目の命日・・・。

土曜日は六ヶ月で突然逝ってしまった長男の五回目の命日でした・・・。

毎年この日は重く沈みがちになるので、仕事を休んで子供達と過ごしていました・・。子供達が観たい映画に出掛けたり、お台場で食事したりと・・・去年は仕事の都合で普通に過ごしたのでしたが今年は熱海へ一泊旅行しました・・。

夏の旅は長男が生まれてから一度も出掛けてなかったので、二女が友達の夏の予定を聞き羨ましそうに言う姿に、今年はプチ旅行で子供達を喜ばそうと思ったからです・・。

長男には何もしてあげられず守る事すらできなかったので・・・それを思うと旅行など申し訳なくも思うのでしたが彼の兄弟の子供達が喜べばきっと喜んでくれるとの親として勝手な思いなのですが、子供達と楽しむのが供養になるとの思いでした。

子供達のハシャグ姿に来てよかったと・・・・。家で沈んで仏壇の前で涙するよりは前向きな気持ちになれたのが私達夫婦にも良かったと・・きっと長男が後押ししてくれたのだと感謝です。

守ってあげられなかったのに私なのに彼は天国から家族を守ってくれている・・お陰でお姉ちゃんたちも弟の二男も元気で過ごすことが出来ているのだと。

親にとって我が子が健康で楽しく過ごす姿ほど嬉しい事はなく、励みともなるものです。

熱海の広い空と海原を見ていたら彼とも来たかったなと・・・これからも折に触れて悲しみが沸き上がってくるのは仕方ないとしても、極力明るく前向きに過ごしたいものです。

子供達のはしゃぐ声にいつも一緒の長男の遺影の笑顔が明るくも思えた今年の命日でした。

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2010年8月22日 (日)

熱海旅行へ行きました。

子供達の夏休みももう終わりということで、夏の思い出作りに熱海へ行って来ました(゚▽゚*)

熱海は『金城館』に宿泊。此処は熱海でも老舗高級ホテルで庭が見事で有名とか。

なのに格安料金でプールにカラオケも無料開放。その上夕食はビール・日本酒他酒類もソフトドリンクも飲み放題という至れり尽くせりと言うことで行くことにしました(*^-^)

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着いてすぐに待ちきれない子供達とプールでゆっくりと遊びました。三才の二男も気持ちよさそうに歓声を上げて家族でたっぷりと楽しみました(゚▽゚*)

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夕食は海の幸盛りだくさんの和食膳で、その上飲み放題との事で私は生ビール三杯に冷酒二合、白ワインを一杯戴き、いささか赤くなりワイフと娘達に心配されました( ̄○ ̄;)!

食後に無料カラオケに家族で・・子供達とも初めてのカラオケでしたが楽しめて私も久々に美声?を披露・・・。

二女と長女はイキモノカカリの曲・・・何だっけ?、私は『今宵の月のように』を、ワイフが唄ったのは『涙そうそう』・・・この日は長男の五回目の命日だったので母親から子への鎮魂歌は涙をこらえるのが大変でした・・・でも家族が明るく楽しく過ごしているのが供養でもあり、魂はいつも一緒だから笑って歌を聴いてくれていてくれると。

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今日は私は皆が寝ている間に起きて、ひと風呂浴びてから一人で館内を散策しました。このホテルは父が業界の旅行で来たとかで・・熱海も子供の頃何回か連れて来てもらった思い出の地・・・そんな思いを噛みしめてホテルの外も歩きました。

そして家族で昼までホテルでお土産を見たり、庭を散策したりノンビリ過ごして、ホテルを後にして『池田万寿夫・創作の家』 に寄りました。

ここは故・池田万寿夫さんご夫妻が自宅とアトリエとして住んでおられた邸宅をそのまま作品を展示してあり、絵が好きな娘達は興味深く作品に見いっていてました。残念ながら撮影禁止でしたが素晴らしい作品を目に焼き付けて来ました。なんともハートフルな感じがして来てよかったと思える所でした。お勧めです(゚ー゚)

写真はパンフレットからの物です。

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そして帰りは、二女と二男のリクエストにお応えして、新幹線にのって帰路に。乗り物好きの二男は猛スピードで通過するのぞみ号に驚きながら見ていて、自分が乗るこだま号が来ると大喜びで乗り込み、暫くは窓の外を見て歓声を上げてましたが眠気には勝てずに着くま心地よさそうに寝ていました(-.-)zZ 二女はスピードが速く怖かったそうでした。

こうして我が家の家族旅行も無事に終わり、あっという間の二日間でしたが子供達とノンビリ過ごせて良かったです。

長男の命日にと迷ったのでしたが・・沈んで過ごすより彼も喜んでくれると・・。子供達も喜んでくれて『パパありがとう!!』との言葉に胸が詰まって・・・。

私達夫婦にとってこの一言が何よりのお土産でした(゚m゚*)

2010年8月20日 (金)

龍馬伝。

我が家は毎週日曜日の楽しみとして家族で大河ドラマ『龍馬伝』を楽しみに観ています。

主演は福山雅治・・・カッコいい男の代表格といった感じで同じ40代とは思えない若々しさが溢れていて羨ましいです(゚ー゚)

福山雅治と言えばシドニーオリンピックの時に現地でレポーターして女子マラソンのQちゃんはじめアスリート達との係わりを見ていて明るくて自然体で飾らない爽やかさが印象に残っていました・・。

そんな爽やか青年だからこそ坂本龍馬もとても自然体で演じているようで、男も女も、敵味方係わらずに逢った人が魅かれてしまう人物像を見事に表現していると思いました。

別の道を歩んだ旧知の友も窮地に立たされれば、飛んでいき身体を張って救おうとする福山演じる龍馬を見ていると、私利私欲でなく純粋に国の行く末を思って労を惜しまなかった実際の龍馬も、魅力あふれる人だったんだろうなと、自分なりに想像したり・・。

今の時代、そんな人間は・・・政界にも財界にも我々の身近な処にもいるのだろうかと・・。

純粋に人を信じて愛して、国も信じて愛して・・決して見限ったり卑下したりせずに真っ直ぐに己の道を突き進む龍馬。

誰もがそうありたいと思っていても、なれるものでないからこそ真の英傑なのだと思いました。

それにしても福山雅治はカッコいい・・羨ましくてならないと(≧∇≦)

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2010年8月14日 (土)

祖母の祥月命日。

今日は祖母の祥月命日でした。

亡くなったのは私が中学二年の時ですから随分経ちますが、生れてより一緒に暮らしたのでとても可愛がられていました。

祖母は大変強い明治の女でしたが心根は優しく何でも出来た人だったとよく母も言っていました。

祖母は戦前に幼い娘を・・戦後に50才の長男を亡くすと言う悲しみを負っていて、私も長男を亡くして思うのですが、芯の強い祖母だったの子に先立たれると言う極限の悲しみを抱いてどう思い生きてきたのかと・・。

今日長男とワイフと散歩の帰り道に近くのお寺に詣でました。

このお寺は子守り地蔵尊も祀られていて、門の両脇に可愛い童姿のお地蔵さまが座っていらしてよくお参りさせて戴いてるお寺です。

昨日、旧東海道の老舗和菓子店で茶饅頭を買って仏壇に供えて、今日はお寺さんで手を合わせて長男、両親共々冥福を祈りました・・。

墓参りは都心から離れていて、この暑さで子供達の健康を考えて御免なさいですが・・皆が元気で暮らせてこそなので許してもらえればと・・。

お盆の真っただ中に彼岸に旅立った祖母の面影を偲び、ワイフと三人の曾孫を守ってほしいと願い、長男を先立たせた不徳を詫びる祥月命日です(;ω;)

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我が家のの夏休み。

お盆休みの昨日はお台場の船の科学館へ家族で行って来ました。

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展望台より東京湾を眺めたり、タービンの緒方模型や動力の仕組み等、海や船に関する様々な展示を楽しんで来ました。(展望台でご機嫌の二男とタービンの模型です。)

今日は近くのホテルへ散歩と涼を求めて、宿題デーの姉妹とは別に二男とワイフと行って来ました。

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園内の庭を散策して滝の内側のトンネルをくぐりご機嫌の二男、帰りは坂本龍馬達のイラストが描いてあるバスを観て大喜びでしたヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ

(彼のリクエストでバスの前でパチリと!! 園内の庭の滝の前でママとポーズですヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ)

まだまだ暑いので健康を大切に残暑を乗り切りたいですね(*^-^)

2010年8月13日 (金)

メモリー・・・・思い出が一杯①私の事(幼年期編)

家族について色々と書いたものの私自身については書けないものですね(*´ェ`*)

余り自分のネタ探しも照れもあり懐かしさも込み上げますが綴ってみました。さて今回は穢れを知らない幼児期を。

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私が生まれたのは今から・・・数十年前の東京オリンピックの前年の夏でした。勿論自分では覚えておりませんが、両親の喜びは大きく大切に可愛がられたようです。

上の写真は初節句の時でしょうか・・・泣く私を母が抱き上げて横に見える手は祖母があやしてくれているようです・・決してビンタ喰らってるのではないと思います。

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両親とのスナップです。見目麗しい人形のような・・自分で申すのもなんですが今の私からは想像もつかないですΣ( ̄ロ ̄lll)  両親の表情から大切にされていたのだと温かいものが伝わってきます。手に持つキューピーちゃんと馬らしき人形が時代を感じさせます(゚ー゚)

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祖母と私です。生れた時から一緒に暮らしていたのでとても可愛がられました。気丈な明治の女性であり、私がイジメラレルと相手を叱りつけて守ろうとする位大事にしてもらい、それだけに私はお婆ちゃんが大好きでした。

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関西方面の旅で撮られた一枚です。後ろの特急がノルスタジックです。幼稚園ではいつも泣かされていて、気弱な子供だったようです。

またいずれ次の時代をお見せしたいと・・・良いネタが出ましたら(*゚▽゚)ノ 

2010年8月10日 (火)

親友のお父様の訃報に接して・・肉親との永別。

今日、親友の森君よりお父様の訃報を聞き、彼の心中を察るに胸が痛みます。

私自身27才の時に父が急死して、36才で母が逝き一人っ子の私は育ててくれた二親と永別したのですが色々と思い起こされました。

肉親との永別・・・これは避けて通れない事なのですがそれが突然であれ覚悟する時間があっても簡単に覚悟どころか現実として受け入れるのは大変な葛藤があるものでした。子として親には長生きして自分を見守って欲しいのは当然ですが、一人っ子で甘えん坊の私は尚更でした。

父の突然の死は悲しみ以上に驚きの中で受け入れる以上に頭と心の整理もつけられないまま送り、母の余命宣告を受けた時、現実として受け止めざる得ないと呑みこもうとしても、信心深かった母だから神様が助けてくれる等と普段は形位でしか拝まない神棚に真剣に祈ったり、いざ母の臨終に際して覚悟した中であっても受け入れようと自分を説き伏せるのに苦悩しました。

二親を送り、今度は子供達に年老いて送られる筈が長男の死に直面した時は両親の時のように冷静を努めて送る事など出来ず只慟哭していました。

子を亡くしてこそ実感で思うのですが、親として子供が健康で過ごしている姿こそが大きな喜びであるのだと・・・母も病床でワイフに私の健康を心配して託したと聞き涙しましたが、自分の身体が如何に辛くとも子供の健康を一番に考えるものだと・・。

子は親が年老いても元気で居てくれるだけで安堵感があり、大人となり自立しているつもりでも親の掌からは精神的にでられず、甘えていたと二親に逝かれてツクヅク思います。

幾つであろうと子は子供であり何処かで甘えて、親はそんな子を愛しみ守ろうとしてくれる・・。

その親が彼岸へ旅立った時・・覚悟しようとしまいと無常な孤独感に苛まれて色々と思うもの・・大人だからとそんな感情を押し殺して女房・子の手前、私も冷静を装いましたがある弔問客の方に[親が亡くなったんだから泣いてもいいんだよ!]と言われて泣いたと・・。

父とは折り合いが悪いまま永別して今も蟠りが残っていますが・・自分も歳をとったのか少し気持ちが近づいたような・・・・幽冥堺を異にしても親子の繋がりは絶てるものでも消えるものでもないのだと思いました。それが絆なのでしょう。

兄弟のように青春期を共に歩んだ親友の胸中いかばかりかと・・・我慢強く頑張り屋だけに思います。

どんなに辛いことかと・・・私は何もできず慰めになるかわからないけど・・。

子供の頃父親の頼もしい腕に抱かれた時の温もり・・・年老いて病で気弱になった親の手を逞しく育てもらったその掌で包んだ時の温もり・・・どちらの温もりもずっと消えることなく心に残っていくものだと・・・。

心よりご冥福をお祈りしたいと思います。    合掌

2010年8月 8日 (日)

父の大陸での足跡を辿れて・・満蒙開拓団の資料展示に行って。

昨日は午後から新聞で見た、[満蒙開拓団]の資料が展示してある蒲田の区民ホールへ出掛けてきました。

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戦前父は15才で満州(現在の中国東北部)へ少年義勇軍として志願して赴き、共に志願した親友とかの地で牧場を開く夢を叶えるべく訓練に励み頑張っていたのでしたが、ソ連軍の侵攻と終戦で夢は砕かれて混乱の中を開拓団の方達と決死の逃避行の末帰国したのでした。

途中で子供を泣く泣く現地の人に託したり、銃弾に倒れたりといった戦争が生んだ悲惨な現実を幾度も目にしたと生前話は聞いていただけに、今回の催しは父の足跡に触れられる機会となったのでした。

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会場には東京の満蒙開拓団につていて様々な 資料が展示されていて、当時の満州の地図に開拓団や少年義勇軍の入植地や施設が示されていて実行委員の方が私が父から聞いていた地名に基づいて場所を丁寧に教えて下さり、父が辿った道はこうだったのかと思いを巡らせました。

会場には各テレビ局で放映された開拓団・少年義勇軍関係の映像も放映されて・映像の中の訓練に励む少年の中に父がいるようで『この中の誰かがお父さんかもね。』との係の方の言葉に涙が込み上げそうに・・。

広い大陸を港まで辿りつくまでの父から聞いていた話と委員の方の話に誤った国策で苦難を強いられた開拓団・少年義勇軍の方達の思いは如何ばかりかと当時の[ならずもの国家、大日本帝国]に怒りも込み上げました。

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日本が侵略して取り上げた土地なのに・・・入植して三年で開拓した土地は自分のものになるという、触れ込みで人々を移住させて、挙句に父達14,5才の少年まで駆りだした事はこの国の大きな罪でありると・・。

父達民間人を守らずに逃げて行った情けない関東軍の軍属には補償しても父達、開拓団には一時的な補償で済ます日本政府の対応も呆れたものです・・こんな国なら戦後に米国領になった方が良かったと思いました。

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展示を観て父の足跡に触れることは出来て、折り合い悪いまま死別した父と少しは近づいた気はしました・・。

と同時に空襲や原爆だけでなく『満蒙開拓団・少年義勇軍』も同様に取り上げて欲しいと感じました・・・自分の国に騙されて移住させられて苦難の末に大勢が命を落とした史実を風化させることなく政府は今一度取り上げて検証して欲しいと・・。

そして政府を代表して首相がお詫びのコメントを出してくれればと・・。その時ようやく私も国に対しの思いも変わると・・。

そして二度と他国を侵略したり、されたりしない戦争のない世界になればと願います。

父達のように青春期を奪われて命が危ぶまれることのないようにと・・。

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2010年8月 6日 (金)

両親と最後の家族旅行から20年目の夏・・そして今・・。

来週はお盆休み・・・。今年は家族でのレジャーはお盆過ぎてから計画を立てています。

私の子供の頃はお盆休みと言えば家族旅行が、父が旅が好きなせいか決まり事で、喜んで祖母とついて行った子供の頃から、渋々と同行した大人になるまで色んな所を旅したものでした。

最後に両親とお盆休みに旅したのが大阪で開催された『花の万博』を観て高野山から南紀へ赴いたのが今から20年前のお盆休みだったと思いだしました。

当初はいい年して両親との旅を拒んだものの母の説得もあり同行してしたのでしたが、当時はバブル期で『花博』は大賑わいだったと・・。

両親も楽しんでいて、ことに親父ときたらバスツアーと言う事もあり、飲みっぱなしで上機嫌\(^o^)/ 

私と母は恥ずかしくて他人の振りして最後尾の席へ逃げたりとしてましたε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…

印象深い出来事は・・・高野山のお寺の宿坊に泊まった折にお酒を一気に三本も注文して世話係の若い坊さんが[そんなに飲みはるんですかw(゚o゚)w]と驚かれ母と呆れたものでした。

翌日に和歌山の千畳敷きでの出来事で壮大な海原をビデオに収めてる私に自分を撮れと親父がほざくのでビデオカメラを向けると『ちゃんと撮っておけよ!!俺はもうじき死んじまうから・。』とほろ酔い気分の赤ら顔で笑って言うのでバカ言ってるとしか思わなかったのですが翌年の春に急逝して・・・言葉の通りになってしまったのでした。

前日に母と泊まった寺で延命祈願のお経まであげてもらったのに・・それこそ親父の寿命であり、後で思えば知らずに口に出したのかと母も言っていました・・。

旅路、最後の夜の宴会は酒が入り、カラオケで私を呼びつけて傍らに何のためなのか立たせて知床旅情を気分よく唄ったと・・・バスのガイドさんやツアコンさんに他のツアー客とも仲良くなり、工場を立て直す事やら私の嫁取りを急いでるなどと好き放題話していて、そのたび母と顔をシカメテいたものだったと( ̄○ ̄;)!

今思えば旅好きで親父は好き放題にいつもハシャイデましたがこの旅路は殊更上機嫌でノッテいたと・・翌年春に急逝して両親との最後の旅路となっただけに、私もその5年後に家庭を持ち、長女がうまれて母とワイフと娘と共に旅もしました・・。

その時に子供と旅できる喜びを感じたのですが、折り合いの付かなかった親父でしたがハシャぐ気持ちが少し理解できたように思えました・・。

あれから20年目のお盆休み・・母も親父の元へ旅立って10年経ち親子3人での旅路が懐かしく思い起こされたのでした(゚ー゚) どこにしまったのかその時の写真は出てきませんが記憶に残っています。

祖母に両親・・皆逝ってしまいましたが旅も家族の思い出と記録なのだと思います(゚m゚*)

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父が旅好きで祖母と私と両親で方々旅したものでした。祖母は幸せだったと・・。

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写真は私が高校生の頃に旅した下関の関門海峡でのスナップです・・。

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私も家庭を持ち、母とワイフと長女と函館を旅した時です。母は孫との旅に喜んでくれましたが・・翌年旅立ちました。苦労した母へのせめてもの親孝行の真似事でした・・。

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油壺に旅した時の1枚です。

両親と旅したように・・とまでいかなくとも日帰りでも、近間でもたまには旅したいと思います。いつまで喜んで付き合ってくれるやら(o^-^o)

2010年8月 3日 (火)

8月になって・・育児放棄の果ての悲劇。

暦も8月となり、世の中夏本番で子供達にとってはプールに家族でレジャーへと楽しみも多い季節なのですが・・・先日の大阪で起きた育児放棄の果てに幼子二人が亡くなるという余りにも痛ましい報道に私達夫婦は涙が止まらず・・・怒りさえ覚えたのでした。

8月は私達夫婦に長男を亡くした月だけに熱い日は、彼が逝ってしまった日が昨日のように蘇り胸が詰まる思いがします。

折角産まれてくれたのに守り切れなかったという親としての不甲斐なさが頭に渦巻き、生かされている事自体、彼に対して申し訳なくも思えます。

子供とは有難い授かりもので、お金や名誉や何より尊いものだと彼を亡くしてツクヅク思うだけに、子供を置き去りにした若い母親に対して玄関でと扉を閉める時に親心を思い起こして踏みとどまって欲しかったと残念でなりません・・。

近隣住民からの通報にも係わらず手を打てなかった行政にも歯がゆさを感じますが、やはり身近で子を守る立場の母親に対して思いなおして二人の子を抱きしめてあげてくれればとの思いが私は一番強く思いました。

私は父と確執の仲のまま死別して重荷こそ遺されたものの、育ててくれたことに対しては感謝しています。

私も親となり子宝にも恵まれましたが、長男を先立たせてしまった事は守り切れなかった大きな罪だと墓場までその罪を背負って生きていこうと思っています。

子供は親が頼りであって、親が子供の下の世話から食事の世話をしているのは義務だけでなく自分の血を引いて生れてくれた命を次世代に引き継ぐための喜ばしい一時を与えてもらっているのだと長男を亡くして教わったように思えます。

亡くなった二人のお子さんの冥福を祈り。こんな痛ましい事件は繰り返して欲しくない・・・全ての子が親の大いなる愛情に育まれて希望をもって世に巣立って行って欲しいと切に願います。

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2010年8月 1日 (日)

ささやかな幸せを感じて・・・癒される一時。

昨日は午前中は約束通りに二女とプールへ。目的は平泳ぎの練習がしたいというので私が手解きをと言う訳で・・。

そうは言っても私も泳ぎは不得手でクロールはまるでダメ(;´Д`A ```

父親直伝の平泳ぎなら少しは泳げる程度ですが、二女に水のかきかたと蹴り方を教わった通りにレクチャー・・懸命に練習する二女が愛らしくおよそ一時間半くらいでしたが少しは形になったように思えました(*^-^)

午後は二男と出掛けようと思いましたが眠そうなので予定変更して、図書館へ行く娘達を送りだしてから私は一人歩きを・・と言っても蒸し暑いのでブックオフで立ち読みをしてからスタバでコーヒーを飲んで帰宅しました。

駅で浴衣姿の女性やカップルを多く見たのでしたが、隅田川の花火大会だとか。独身時代に友人と、また婚約時代にワイフと人混みの中観に行ったことを思い出しました。

長女が幼いころに東京湾花火大会に出掛けたのでしたが人混みで危険と判断して電車から見ただけで引き返したこともあり、我が家では毎年テレビで楽しむことにしてます。

今年もビールを飲みながら二男を膝に乗せて夜空を彩る花火を一家で観覧しましたヽ(´▽`)/

不況で世知辛く、これといった贅沢もできませんがプールで二女といる時も家族で花火を観る時もささやかな幸せに包まれて、家族の笑顔に癒されている事をヒシヒシと感じたのでした。

今日から8月・・長男を亡くした忌月で気持ちが落ち込むのですが家族が笑顔でいられるように奮い立ちたいと・・楽しく夏を過ごせば長男も喜んでくれると信じて・・。

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