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天使になった実君。

  • 弟とおどけて・・。
    長男、実は2005年2月10日に生まれて、8月21日に突然に世を去りました・・。 何もできないパパでしたが愛と笑顔をふりまいてくれました。 感謝を込めて綴りたいと思います。

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2011年5月17日 (火)

実父が逝って20年目の命日・・・。

正月過ぎと五月の連休明けそして八月の盆休み明けは私にとり嫌な季節・・。

別に休みが終わったからでなく、両親と長男の祥月命日月は鬱々しがちです・・・。

父が急死してから今日で20年過ぎても父の印象は今でも強いようで業界でも仕事先でも話になって忌々しい位です。

確かに豪放磊落で見栄も切って誰に対しても気前も良く[飲む・打つ・買う]と三拍子揃って好き放題の事をしていて本人は気持ち良かったろうが家族はたまったものではなく、[恥ずかしい調子に乗って!!]と母が始終嘆いていたのものでした。

然し、年貢の納め時は朝起きてぶっ倒れてウーッ!⌒~⊃。Д。)⊃ ピクピクで呆気ない最期で本人は長患いせずに苦しむことなかたものの、自分の城を建ててる最中にお迎えとは・・・哀れと言うか業の果てというべきか・・心残りだったとは察します。

戦争で国に騙されて大陸に赴き命からがら帰国してから自分を欺いた日本を嫌悪してブラジルに再び渡る夢も家族を養う義務から頓挫してテキヤからハンコ屋の使用人へ。

親方が失敗しかけた事業を引き継ぎ小さいながらも親方となり自分の親方以上に伸びたのは持ち前の人付き合いの上手さと時代に味方された運の強さもあったと。

最期は自分の城に入れずに妻子に負担を遺し晩節を汚したのは本人も私達にも不本意だったのですが・・。

それでも苦労しながらも意に叶った人生を歩めて、やりたい放題でカミさん泣かせで息子の夢も踏みにじっても畳の上で看取られて死ねたのだから幸せだったとは思います。

ゴロツキ同然の親類の持て余し者の兄弟そろって面倒みて世帯も持たせて脛かじりの妹夫婦には甥である子供達の学費の面倒見たり元の親方の奥さんには上納金みたいに役員にして報酬を出したりと外には気と金使いながら私と母は力づくで意のままにしようとする暴君だった父。

父にとっては私に我が子に対しての愛情以上に跡取りとしてのみの価値で育てられたのが残念です・・。

従弟を引き合いに出されたり、跡継がないなら出ていけと子供のころから脅され続けたのは精神的虐待以外は何物でもなかったと・・。

私にとっても悪い父でも周囲から慕われてたというかお人好しでお調子者として上手く利用されてたのか・・・だとしたらオヤジ以上にタカった親類や親方一族が図々しく思えます。

実父にしてみれば親方に対しても妹夫婦にたいしても義理を果たそうとしただけだったのにと。

満州にいかず、嘘つきで不潔で貧しいこんな日本を捨ててブラジルに渡れていたら成功したようにも、妹や元親方やらに気も遣わずにいたろうに・・もう少し飲む・打つ・買うも控えて節制してれば長生きできたようにもタラレバでも思います。

ただ周囲に良くした分だけ[あんたのオヤジって奴は!!]等と言われない事だけが息子としてのメリットだと思いこませる20年目の命日です。

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