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天使になった実君。

  • 弟とおどけて・・。
    長男、実は2005年2月10日に生まれて、8月21日に突然に世を去りました・・。 何もできないパパでしたが愛と笑顔をふりまいてくれました。 感謝を込めて綴りたいと思います。

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2012年9月24日 (月)

彼岸も終わり・・亡き両親を想う。

秋の彼岸も過ぎましたが、我が家の墓所は関東某所の古都の近くなので混雑することもあって彼岸の真っただ中は避けていてこの秋も墓参はせずに仏壇にお萩に酒を備えて手を合せました。

長男を亡くしてからは不憫さの余り、親の供養は後回しでとりわけ実父とは折り合いが悪く私を縛り付けて死んだことで実父の弟である叔父に菩提を押し付けるように供養も忌避したのですが、お盆に彼岸位は仏壇に好きだった日本酒を供えて手を合わせてます。

実父か急死したのが私が27の時、その後苦労した母が亡くなったのが36の時で二人とも老安穏とした老後を過ごすこともなく若いころから親、兄弟を養い、私を育てながらも兄弟の子供の学費や実家の母親の介護費用までも援助したりと働きづめの一生だったと・・。

母が「当たり前程怖いものはない。」と嘆いたくらい、してもらって当たり前の態度でタカってくる従兄弟に伯父伯母達の様を私も見ていて父亡きあとに私もタカられましたから長年に亘りさぞ大変だったと・・。

それでも最期まで応じてたのは戦後の混乱期からそうしてた兄弟思いの気持ちがそうさせたのであったのだと・・・。

着服するは、親類と組んで横流ししても放逐せずに許し・・同族ゆえに部下であっても対等意識が強く両親とも手を焼いたのは大人になり私も痛感したのでしたが・・。

兎に角人柄だけは両親とも悪く言われることはなかったと・・。

テキヤの三下から立ち上がり兄弟を病弱な祖父に代わり家族を養った実父に、母も下の弟、妹を高校大学に行かすために兄と共に働いたという点で同じく苦労人同士た゜けに人に対しての情け深さは強かったが恩も忘れていつしか当たり前になったのは怖いと・・。

実父とはなさぬ間柄であったにせよ、他人に親切にというふた親の教えは大切にしたいと思うのでした。

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コメント

ご両親の写真を見るたびに、懐かしさが込み上げてきます。
ご両親には本当にお世話になりました。
半ば自分の肉親のようにも思えるくらい、親しみがありました。
今は只、手を合わせることしかできませんが、今でも感謝の気持ちが込み上げてきます。

ありがとう。両親もその言葉喜んでいると思います。

諸行無常と言うけど天も働きづくめだった分、孫との老後を与えてくれてもと思ってしまいます。

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