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天使になった実君。

  • 弟とおどけて・・。
    長男、実は2005年2月10日に生まれて、8月21日に突然に世を去りました・・。 何もできないパパでしたが愛と笑顔をふりまいてくれました。 感謝を込めて綴りたいと思います。

ファミリー

2013年3月28日 (木)

旅立ちの春・・。

3月も今週で終わり・・・・我が家では倅が小学校へ上がり、長女が高校生になります。

早いものです(^.^) 卒園式に卒業式。子供達の歌と笑顔と涙・・旅立ちの春なのだと寂しさと共に新たなステージへ進む我が子達だけでなく全ての子供達が幸多かれと祈る気持ちです。

私も保育園では父母会長をさせてもらい最後の1年にいい経験と思い出が出来ました(^.^)

倅に『パパ会長!(^^)!』とハシャギ周られて気恥ずかしかったのですが、喜んでくれてるのが張りになり、役員さんたちのお力添えで何とか1年間を勤めさせていただいたと感謝です。倅も笑顔でたくさんのお友達と楽しく過ごす姿を間近でみられて良かったです。

受験に頑張った長女・・見事に初志貫徹して志望校へ合格して、高校の新入生説明会で出された課題に取り組んでいて、早くも高校生活がスタートしたようです。

保育園、中学校の先生方には言葉には感謝の気持ちで一杯です・・・いくら一緒に暮らしても親だけの力で子供は育つものでなく教え、導いていただき育んでいただき友達関係を築いて成長させて頂いたのだと感じます(゚m゚*)

子供達も私達も感謝の気持ちで旅立ちの春を迎えたいと思います。

2013年2月28日 (木)

15の春に桜咲きました。長女の合格!!

今日は長女の公立の合格発表でした。家内も私も仕事しながらも落ち着きませんでしたが

帰宅するなりニコニコ顔でグーサインの長女に涙が込み上げました・・・。

子供3人で甲斐性もないので満足に塾やゼミにも行かせてやれず娘が自力で克ち得た合格だけに嬉しさも一入です(^^)

ホントによく頑張ったと・・・この父親にしてよくぞ・・・感無量です。

いまはこれしか書けません・・とにかく長女にはおめでとう!!よく頑張ったと!(^^)!

2013年2月 6日 (水)

二男が6歳になりました。

昨日で二男が6歳になりました!(^^)!

保育園で先生にクラスメイトに祝っていただき、夜は家族でささやかなお祝いをしました。お姉ちゃんたちからもプレゼントを貰いニコニコの二男に「よくぞここまで育ってくれました。」と込み上げるものが・・・。

産まれてすぐに多呼吸症でNICUのある病院に転院したことなど色々と思い起こされて・・。

春からはいよいよ小学生に・・・子供の頃の私に似て少々お調子者ですが今の明るさを大切に先ずは健康で楽しく通って欲しいです。

「お前が生まれてくれて6年、お前は我が家に明るさを持ってきてくれたと感謝しています・・天性ともいえる明るさはパパのビタミン源でママやお姉ちゃん達にもそうだと思います。お前が大きくなると同時にパパは歳をとります・・最近はお前が走るのを追いかけ息が上がるようになったけど煙草もやめたから少しは長持ちすればと思います・・最近お前に厳しくうるさくしてるのもパパがお前と居られる時間がお姉ちゃん達よりも少ないからです・・お前には申し訳ないけどそうなのです。こんなパパだけど教えられること、伝えられることを教え伝えてこれから長く生きていくお前に少しでも役に立ちたいから・・ただ教えてあげられないのは人との関わりです。それはお前が今までのように自分で友達とのかかわりの中で自分なりに考えなさい。パパはお前はそれが出来ると信じてます。お前には可能性がたくさんありますその可能性が広がる事を願っています・・6歳の誕生日おめでとうパパを照らしてくれてありがとう。」

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2012年9月24日 (月)

彼岸も終わり・・亡き両親を想う。

秋の彼岸も過ぎましたが、我が家の墓所は関東某所の古都の近くなので混雑することもあって彼岸の真っただ中は避けていてこの秋も墓参はせずに仏壇にお萩に酒を備えて手を合せました。

長男を亡くしてからは不憫さの余り、親の供養は後回しでとりわけ実父とは折り合いが悪く私を縛り付けて死んだことで実父の弟である叔父に菩提を押し付けるように供養も忌避したのですが、お盆に彼岸位は仏壇に好きだった日本酒を供えて手を合わせてます。

実父か急死したのが私が27の時、その後苦労した母が亡くなったのが36の時で二人とも老安穏とした老後を過ごすこともなく若いころから親、兄弟を養い、私を育てながらも兄弟の子供の学費や実家の母親の介護費用までも援助したりと働きづめの一生だったと・・。

母が「当たり前程怖いものはない。」と嘆いたくらい、してもらって当たり前の態度でタカってくる従兄弟に伯父伯母達の様を私も見ていて父亡きあとに私もタカられましたから長年に亘りさぞ大変だったと・・。

それでも最期まで応じてたのは戦後の混乱期からそうしてた兄弟思いの気持ちがそうさせたのであったのだと・・・。

着服するは、親類と組んで横流ししても放逐せずに許し・・同族ゆえに部下であっても対等意識が強く両親とも手を焼いたのは大人になり私も痛感したのでしたが・・。

兎に角人柄だけは両親とも悪く言われることはなかったと・・。

テキヤの三下から立ち上がり兄弟を病弱な祖父に代わり家族を養った実父に、母も下の弟、妹を高校大学に行かすために兄と共に働いたという点で同じく苦労人同士た゜けに人に対しての情け深さは強かったが恩も忘れていつしか当たり前になったのは怖いと・・。

実父とはなさぬ間柄であったにせよ、他人に親切にというふた親の教えは大切にしたいと思うのでした。

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2012年8月22日 (水)

家族で長男の思いで話・・・。

昨日の長男の祥月命日は、夕刻から大円寺の子守地蔵様へ詣でて長男の冥福を皆で祈りました・・。

七回目の命日・・・可愛らしいお地蔵様に手を合わせながら泣いてきました。

帰宅してから夕飯を食べながら長男の思い出話をしようという事になり、彼の弟である二男に聞かせるように私たち夫婦、長女、二女と彼の話を・・・。

6か月で旅立っただけにどれだけ思い出がと思いましたが娘たちも色々と憶えていて、あの時こんな顔して笑った。こんな風に寝返りしたとか盛り上がりました。

笑ないながら涙がこみ上げてきて・・やはり親子、兄弟だけにいつまでも長男の魂は皆と共にあるのだと温かいものを感じました。

娘たちにとって弟の突然の死は幼心にもとても衝撃的で悲しいことで親としてそんな想いをさせてしまった事自体申し訳なく思っています。

二男に伝え聞かせるように話すのを会うことは叶わなかった二男も聞きながら兄貴の遺影に「お兄ちゃん笑ってたんだ。」と長男そっくりの眼差しで笑いかけてました。

たとえ半年という短い期間であっても家族として共に過ごして思い出は色褪せずに残っていくのが供養であり、立派な墓や仏壇よりも大切な亡き兄弟への追悼の気持ちを娘たちが持っていてくれて弟に長男の事を聞かせてくれることが嬉しく思えた命日でした。

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2012年8月14日 (火)

祖母の祥月命日・・。

今日は私を可愛がってくれた祖母の祥月命日です。

祖母とは生まれてから中学2年まで共に過ごして色々と思い出もあります・・。

いじめられっ子の私が泣いてると通りかかっていじめっ子を怒鳴り飛ばして蹴散らすくらい強くて私を守ってくれたり・・強い明治の女だったと亡き母も言ってました。

実父の妹であるヒガミ根性の強い尊大な伯母が同じ孫なのに私ばかり可愛がるとヤキモチ焼いたという位で道理で母と私には強く当たったと(笑)

実父が生国のならずもの国家、大日本帝国に騙されて侵略した土地とも知らず満州に赴いたときは毎日お百度参りを欠かさずに無事を祈って生きて帰ってきてからは毎月必ずお大師様へお礼のお参りをしてたと。私は葛餅をお土産に買ってきてくれるので毎月楽しみでした。

それだけに生きて帰れたのは母親の信心の賜物と実父もとても大事にして孝行してもらい幸せな老後を過ごせたと・・。

母もとても大事にして「たいしたお婆ちゃんだった」と最期まで言ってました。
その姑を大事にした母が苦労して老後もなく逝ったのは悲しいのですが。

私は14歳まで祖母の愛情に恵まれたのに母は長女が二歳の時に旅立ち、二女以下の子供達とは会えずじまい・・・長女も2歳では可愛がってもらった記憶もおぼろげだけにゆっくり孫との触れ合いも老後もなく逝った母も、祖母との思い出もない子供達も可愛そうだと。

人の力ではどうにもならないだけに無情にも思えますが、今の私を天界よりどう見ているか。

私はともかく家内と曾孫である娘たちと息子を私を可愛がってくれたように守ってくださいと毎日祈っています。
詫びないといけないのは孫の私より先に曾孫の長男を逝かせてし待ったこと・・・。

母とと共に長男を膝に抱いて私がそちらへ逝き長男を再び抱き上げる再開の日があると信じてそれまで預かっててくださいと今日もお参りしたのでした。

明日は敗戦記念日ですが母の月命日・・・寂しく感じます。

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2012年2月 6日 (月)

二男の五才のバースデー。

昨日で二男が五才になり夜は家族でお祝いしました(*^-^)

ホームメイドのケーキに彼の大好きなウルトラマンエースの人形のプレゼント、姉達からは手造りのカルタを貰い大喜びでしたヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ

思えば生れてから試練も多く、生れた翌日に多呼吸症でNICUがある病院へ転院して5日、ママと離れ離れになりママの母乳をアイスボックスに入れて転院先に持っていったのも思いだされます。

あの時はハラハラしましたが5日間でママの待つ病院へ帰れて、丁度退院した日は亡き長男のバースデー・・・。
きっと弟をしっかり守ってくれたのだと思います。

二歳の時は熱性けいれんで、3才の時は喉の手術で入院して家族と離れての寂しさも我慢して頑張りました。きっと長男が弟を守ってくれているのだと。

長男を突然に亡くして丁度2年目に授かっただけに、私達夫婦の嘆き悲しむ姿を見て両親に長男、そして神様が授けて下さった二男なのです。

それだけに逞しく育っている事は本当に有難くこの日を迎えました。

そんな息子に・・・。

『君のパパは友達のパパよりオジサンです・・・・だから同じように一緒に駆けまわったりしてもスグに息が切れたりして逞しく育っていく君にはものたりないでしょう・・。その癖うるさいしスグ叱るし鬱陶しいと段々思うようになるでしょう・・寂しいけどそれでいいのです。

そうして自我が目覚めて考えて未来に歩んで行ってくれればそれでいいのです。

していい事悪いことこの分別がついて周りに迷惑にならない限り君は自由なのです。やがて君もお姉ちゃんたちもパパ・ママから巣立っていくでしょう・・。

自分の空を自分の羽で飛んでいくでしょう・・。

疲れた時は遠慮なく帰ってきて羽をやすめてください・・・。そしてまた羽ばたいて下さい。

然しいつの日か君が帰ってきてもパパは其処にいなくなる時が来るのです・・。

そしたちょっぴり泣いて下さい・・・でも御飯はしっかり食べてください。

涙を拭いたらママをそして自分の家族がいたのなら守って下さい。

期待するとしたら優しくて温かい人間らしい人として君の人生を胸はって生きて下さい!!

君はそれが出来る人だと信じています。生れて来てくれてありがとう。

5才のバースデーおめでとう。』

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2012年1月15日 (日)

母の13回忌。母に捧げるバラード。

今日は母の13回忌となる命日でした・・。

毎年この日が近づくと塞ぎこみがちになってしまうのでしたが、昨日は両国寄席で笑い、そのあとは三遊亭京楽師匠と色々と楽しくお話が出来てお陰で沈みこまずに今日を迎えられました。

午前中は二女にねだられて将棋の対戦、午後から二女と二男に家内とカラオケをしてきました。

家内と子供達の明るい歌声に癒されながら、私は[母に捧げるバラード]を・・。

歌で私なりに供養をと思ったのですが途中で胸が詰まり涙声になるので打ち切りましたが・・家内もウルウルとして・・。

私が結婚して長女が生まれてもうすぐ三歳になる年のこの日に七五三を共に迎えることなく旅立ったのでしたが、家内はよく尽くしてくれたと感謝しています。

父が急死してから色々と矢面に立たせてしまいまだ独り身だった私を守ってくれた母。

自分の不甲斐なさに今尚申し訳ない気持ちですが私に家庭を持たせてくれて初孫も生まれて短い期間でも家内と長女のお陰で母に明るさが戻ったのが救いです。

自分は若くして学校も行かずに親を養い弟妹を学校へ行かす為に上の兄弟と共に働き父と共に私の為のみならず兄弟を支援する為にも人生最期まで働き続けた母がわたしに・・[人間、親や兄弟からであっても当たり前と思うようになることほど怖い事はない・・前と違うじゃないと甘えて許されると言う事はない!!してもらった事は全て感謝の気持ちをもつように。]と。

苦労続きの人生を送った母からの遺訓として胸にしっかり刻みたいと思います。

供養は正月に家族だけで母の信心していた大国様でしていただいたので今夜はカラオケの帰りに買ってきた母が好きだった甘いものを備えて家族で冥福を祈ります。

いい歳して恥ずかしいのですが毎年この時期は母恋しく寂しいものです

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2011年8月22日 (月)

長男の命日・・・。

昨日は亡き長男の六年目の命日で七回忌でした・・。

旅疲れで家で過ごしてたのですが朝、お線香を灯すと色々と思いだされて涙が・・・。

もういい加減に仏壇の前でも涙するのは卒業しないと長男が心配すると思うのですが・・。

折から24時間テレビが放送されていて・・震災で身うちを亡くされたり重い障害にも負けずに前向きに人生を歩もうとしている方の姿に自分の意気地のなさが身にしみました。

毎年、夏の終わりに放送されるこの番組はチャリティーだけでなく[悲しみ、苦しみを背負っても前向きに進む事を忘れずに]と言う事を教えてれるように思えるのですが、今年は長男の旅立った日とあって子供が亡くなった話などは観られませんでした・・。

夕方過ぎに二女が頭が痛いと言いだし微熱も・・。 ワイフも体調が優れない様子で旅疲れがでたのか急に涼しくなったので身体がついていけなかったのか・・。

友人がジャズライブのボーカルとしてステージに立つので聴きに行くはずで数年ぶりに逢えるとあって楽しみにしていて気分を明るく出来ると思い六本木のジャズバーと言う事でめかし込み出掛ける直前で残念でしたが子供とワイフ揃っての不調に自分を優先する事は出来ないので当然ながら見合わせました・・。

やはり父親としては子供をワイフの事も夫として気遣ってこその家族だと・・長男が亡くなった前日も夜は業界の会合の後で遅くまで飲んで帰ってパタンキューでそのせいで変調に気がついてあげられず助けられなかったという申し訳なさを思うと・・せめて勝手な振る舞いを繰り返さずに彼の姉達と弟を守る事で長男への回向になればと思います。

家族も友人も私を支えてくれている大切な存在・・私からのお詫びのメールに友人から気遣いとお見舞いのメールを昨日も今日も貰いました。

今年の24時間テレビのテーマは[力]

そんな友からの気遣いも大いなる[力]・・ワイフや子供達にも毎日[力]を貰っています。

そして見守って力づけようとしてくれている仏壇の長男の前でも泣き顔を見せないような力強い父親になりたいと思うのでした・・・。

Minoru

2011年6月19日 (日)

父の日に実父を想う・・業界に親子2代で。

大分体調も戻ってきて、昨夜は業界団体の本部での定例会に出席してきました。

嫌々継いだ家業であっても此処は創業者の方に同じく二代目の方達・・時代ゆえかトップをはじめ殆どが先輩方でも二代目なので居所としてはある意味安心できる場所です。

支部会計として本部に出入りするようになって早10年近く・・・実父も通いこの玄関まで車で送った事もあり親子2代に亘りお世話になっているんだとつくづく感じました。

今日は父の日・・・未だに父に後継ぎとしてのみ愛され子としての愛情は疑問に思っていますがワイフが・・・。

『パパの子供たちへの可愛がり方を見ていると自分が可愛がられたから出来ると思う。』と。

・・・・確かに子供のころはパパッ子であったのは紛れもなく実父も家庭を捨て起き好き勝手三昧という事はなく旅行やレジャーに母と祖母と私と楽しませてくれたのは記憶しています。

それ以外で楽しく過ごした場所として業界団体であり、大人になってから団体の集まりに向かう実父をみて団体を[飲み合い]と皮肉っていた私がその[飲み合い]に連ねて育んでいただいいるのですから可笑しなものだとも言えます。

実父が支部会の2次会に私を車で迎えに来させて支部の皆さんに跡継ぎだと私を[一人しかいないから可哀想だけど]と恰好つけて紹介したのも思いだされます。

実父が良く思われてたから諸先輩方も私を可愛がってくれているわけですし、実父との楽しい思い出話を聞かせてくれますが・・私が実父を恨み毛嫌いするのも理解もしてくれます。

私が子供の話をすると[子煩悩な処もお父さんそっくり]とも言われ

[お父さんは自分だけ楽しむことはせずに皆で上手い物食べに行けば、次は必ず家族も連れて行ったのは偉かった。]その話を聞いて確かに前に業界で来たからと連れていってくれたのを思い出して、対抗して私も無理してでも次はワイフと子供達と同じ旨い物を食べにいくようにしていますが・・ナカナカ実父に追いつけず悔しい思いも(ノ_-。)

実父の時代は良かったと・・・皆さんの話を聞いても思いますが悔しいです(-ε-)

[何も同じようにせずとも・・家庭を粗末にして放ったらかしの父親の子でないから背中見てるからアンタは良い父親になれたんだよ。]

とも言われました。好きにはなれませんが実父の評価は高いものだと・・。

実父も私も良い父親とは思えないのですがそう言ってくれるだけ有難いです。

その実父が亡くなってから色々と育んでくれたのが業界団体であり、世間から見れば零細な町工場のオヤジの集まりですが世知辛い世の中でも同業同士が親睦を重ねて家族的な雰囲気で共に生き抜こうとする温もりを実父も愛したのは判ります。

今でも服飾業への想いは絶ち難く道を閉ざして死んだ実父は許せませんが・・・同業者団体だけは家庭以外で一番に安らげる居場所なのは違いありません。

その先輩方の教え第一の[家庭を大事に!!]を実践してこそ実父と折り合いるようにも思います。

今晩は家族で父の日をしてくれるとか・・実父の写真も母の隣に飾り酒でも供えますか。

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